頭が良い人になりたい
頭が良い人に憧れる
どちらもありふれた言葉で、全く同じ意味だと考えても、あながち間違っていないでしょう。
しかし、
頭が良い人に憧れて、自分も頭が良くなりたいと思った。
と
頭が良い人に憧れて、この人について行きたいと思った。
では、意味が全く違います。
前者は、自分がフォロワーを率いていく主体を思い描いているのに対し、後者はフォロワーとしてリーダーに追従するスタイルです。
竹中半兵衛や黒田官兵衛に影響されて、軍師ポジションに憧れる人は相当な数にのぼると思います。
ただ何となく憧れるだけなら、自分が“知謀の士”になったときのイメージは、漠然としていて構いません。
しかし、属している組織の中で、その姿が現実味を帯びてきたなら、しなければならない決断があります。
頭の良いリーダーになるのか、リーダーを補佐する頭の良い人になるのか、という選択です。
あなたが周囲から「頭脳派」というイメージを得て、憧れの対象になったとします。
先ほど書いたように、憧れ方として、リーダーを夢見る主体指向的なフォロワー型と、対象について行きたい従属指向的なフォロワー型に分かれます。
主体指向のフォロワーはあなたの立ち居振る舞いを真似ようとし、従属指向のフォロワーはあなたを頼りにするようになる。いずれにせよ、あなたに関心を持つ人が、周囲に集うようになります。
…むろん、そうでない場合もあります。
「頭脳派」のイメージを獲得しつつ、周囲に人が集わないタイプもいるでしょう。
徳川家康に仕えた謀臣・本多正信などがそうですが、この人などは知謀よりも陰謀のほうが目立ってしまい、れっきとした軍師でありながら、半兵衛や官兵衛みたいなあこがれの対象にはなりづらい。
「頭が良くなりたい」「頭の良い人に憧れる」といっても、その時無意識に付加する条件があり、「頭さえ良ければ何でもいい」という単純なものではなさそうです。
ということで先ほどの「属している組織の中での、“知謀の士”としての立ち回り」という話に戻ります。
やはり、人望と知謀はワンセットで押さえておきたいというのが、偽らざる本音の願いではないでしょうか。
竹中半兵衛と黒田官兵衛 秀吉に天下を取らせた二人の軍師 (PHP文庫)
ところで、万里の長城で有名な秦の始皇帝ですが、彼が崩じた後の秦国は、戦乱の中で弱体化し、最後には項羽と劉邦の二人によって滅ぼされます。
その後、秦を滅ぼしたこの両雄によって天下取りの争いが起こり、勝利した劉邦によって漢帝国が興され、三国志の時代まで約400年の命脈を保ちました。
創業者・劉邦を支えた功臣は、今でも有名な人材が多く、その中のひとりに伝説的な軍師・張良がいます。
この人に憧れる人も多いでしょう。司馬さんの「項羽と劉邦」では、中巻で初登場します。
羽柴秀吉が竹中半兵衛と黒田官兵衛を従えたことを「張良、陳平を得た」と評している本を読んだことがあります(陳平は張良と並ぶ劉邦の謀臣)が、要はそれほどの人気があるということですね。
張良の魅力は何でしょう?
頭が良いということなら、同僚の陳平や、敵方の軍師范増といった面々がいますが、いずれも張良の人気には及ばない気がします。
張良は秦に滅ぼされた韓の国の貴族の出で、ありていに言えば家柄が良い。
品の良い人で、欲も少なく、漢帝国成立のときの論功行賞でも、その働きからすれば過少なほどの領地しかもらわなかった。
劉邦の死後、強大な力を振るった妻・呂后はずいぶん無茶なことをやらかした人で、家臣たちも戦々恐々としたようですが、その呂でさえも張良の健康を気遣い、言葉を尽くして神仙を目指す彼を説得したほどでした。
張良といえば天下を決する戦いで、常に劉邦の傍らで献策した軍師としての姿や、謎の老人に秘伝の書を与えられた話が有名ですが、それだけだと「ただ頭の良い人」ということで、出自が良いとか無欲という条件が崩れたら本多正信になりかねない。
私が注目するのは、張良が集団を率いる反秦の軍のリーダーであったことです。
悪辣な印象を与えかねない破壊者だった時期を、彼は過ごしています。
貴族の出で反乱軍のリーダーというのは、ストレートに結びつかない感じがしますが、彼の反乱は滅ぼされた韓の復仇であり、韓の再興だったため、ダークな目的ではなかったようです。
そうはいっても貴族のお坊ちゃんが、自ら軍を指導して戦いを演じるのは、やはり違和感が強い。
あまり強い軍ではなかったようで、戦うにも、集団をまとめ上げるにも、多大な苦労があったようです。
この時代は、食料が人を惹きつける最大の魅力でした。
戦いが強いだけでは軍を維持できず、粗暴なリーダーであっては人心離反を起こしますが、それ以上に物資確保の実務能力が、何よりまず大切だったのですね。
とにかく張良は、苦労が多い時代を切り抜けた、実務家としての半生を過ごしてきたようです。
彼は本来、このような苦労を要しないはずの貴族出身でありながら、前線への深い理解を持つ多くの経験をした。
それゆえ「リーダーになることもできる身だが、その頭脳をリーダーに提供する軍師」であったわけで、ここが人を惹きつける核になっているのではないでしょうか。
最後になってしまいましたが、『項羽と劉邦』の中で、張良の登場当初のシーンにおける、司馬さんの張良評の一文が、ずっと私を惹きつけ続けていますので、その文章を記して終わりにしたいと思います。
つねに先の先を考えて手を打ち、手順を作り、基礎を一つずつ築いて、すべての物事を未然に始末をするということであった。
『項羽と劉邦』中巻43ページより
基本中の基本のパンチである「ワン・ツーストレート」が必殺技になったボクサーが小細工抜きに強いのと同様、コツコツと地道な省力化を極め尽くした実務家が、“伝説の参謀”と呼ばれた理由はここにあるのではないかと思っています。