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司馬さんの『張良描写』に魅力あり!!

前回記事で「布マスクを1世帯に2枚ずつ配布することが極めて有効」とする首相発言を”官僚的修辞”とし、それが官僚と国会議員だけの世界観でしか有効ではないものだと書きました。
blog.dbmschool.net

 

そういうファンタジーな世界に生きていない、世の一般大衆には、彼らが大真面目にやっているのが偶然4月1日だったこともあり、これはエイプリルフールであり、リアルフールじゃない期待を持たせている(そんなわけない)。

 

今我々に出来るのは日々の心がけが第一であり、体調に気を配り、リスク行動を避け、経済的ダメージに対応すべく消費も控えるくらいでしょうか。

今日も出歩かず、屋内でストレッチや筋トレでもしようかと思います。

 

さて、昨日の記事内で「官僚的修辞はできるだけ抽象概念に終始し、理屈のみでまとめた仲間内での合言葉」といった意味のことを書きました。

特定世界観の中だけで成立する、イメージだけの存在みたいなものですが、霞が関とか永田町の一部地域では実存します。

 

私は司馬遼太郎さんの作品が好きで、その中にこのブログで何度も紹介している「項羽と劉邦」があります。

物語が面白くて好きなのはもちろんですが、司馬さんの絶妙な表現が刺さってくる箇所が多いのも魅力です。


項羽と劉邦(上中下) 合本版

 

「官僚世界だけで完結する世界観」を象徴するかのような文章があり、ここを読むたびに「愚かに使うと国民に不信をかう政策に姿を変えるな」と、やるせない気持ちになるので、それを紹介しましょう。

 

項羽と敵対し、一時は56万の軍勢で彼が留守の彭城を奪ったはいいが、たった3万の兵で引き返した項羽に蹴散らされた劉邦が、各地を転々と逃げ回っている頃のことです。

 

滎陽城(けいようじょう)に籠城した劉邦が、補給を断たれて脱出を余儀なくされたとき、軍師の張良が、策士である陳平の起用を勧めるシーンがあります。

 

そのときに張良が劉邦にくぎを刺した言葉として象徴的だったのが

「陳平の策に、一言半句たりとも修正はせず、彼の発案はすべて採用してください」

 

 張良は陳平を好きではなかったが、「奇術家」としての才能は認めているというのが、ここでの司馬さんの張良の心情描写です。

 

そして、私がうなったのはこれに続く司馬さんの表現です。

 

奇術は、それ自体の論理で完結されている。

他から嘴を容れれば奇術が成立しないことも張良は知っている。

 

いつも思うのですが、司馬さんはこういったフレーズを、どこから引っ張り出してくるのでしょうか。

北斗の拳の巻末の、子供からのお便りコーナーに載っている内容と大差ない疑問で、いい年して恥ずかしい。

(ぶろんそん先生は、ケンシロウのいろんな技のなまえを、どうやって考えているのですか? ぼくはがんざんりょうざんは<岩山両斬波>が大好きです)

 

 

奇術は、それ自体の論理で完結されている。

 

一般常識だとか社会通念とか周囲の目とか国民感情とか、そういった「世を生きる一般民衆の現実」がガッチリ組み込まれているなら、その奇術は極めて有効といえます。

 

陳平は、考えた奇術を実行に移す作業に、自らも携わっているから現実離れせず、目的を達成できたのだが、実施を丸投げする人たちが考える奇術は国民の不信をかうのが当然という気がするなあ。