【感情会計】善意と悪意のバランスシート

善と悪の差し引き感情=幸福度

バカなのに全国1位の成績を取ると結局ムカつく

私はaboutページに詳しく記しているように、健康診断の身体測定から血液検査の結果に至るまで、20~30代の頃の数値を維持するほどボディは好成績ですが、ブレインのほうはからっきしです。
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もし私が野球の投手なら「これほどまで低めに集められるとは、実に見事な投球だ」とお褒めを頂けることでしょう。

アイケルバーガーの防御率とは天と地の差があり、私と対決したバッターたちは、軒並み広島のランス並みの低打率に押さえ込まれること請け合いです。

 

 一瞬だけ、「成績のいいヤツ」の気分を味わえた話

およそ成績面での期待やプレッシャーなどに無縁の私は、当然「期待される喜び」とも無縁。

優等生の喜びや焦りといったものには、全く現実感を感じない学生時代を送っていました。

 

ただ、一度だけほんのりとそれを匂わされたことがあります。

 

高校1年の2学期で、中間試験が終わって間もないころ、私の通っていた都立高では、どういうわけかテスト業者が実施する全国試験に参加しました。

英・数・国の3科目です。

 

当然、試験範囲などは提示されず、ぶっつけ本番になりますので、普段は試験勉強を頑張る学友たちも、普段から試験勉強など全くしない私と同じスタートラインに立つことになります。

 

ついでのようにチョイチョイとテストを済ませ、後日、数ページにわたる結果表が全員に配布されました。

それによると、2万人以上の高校生が受験していたことが示されています。

学校名は忘れましたが「ホンダセイキ」という学生がトップです。

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ホンダ君は英語と数学は100点満点。

国語は100点を取りづらい科目のようで86点ですが、文句なくトップクラスで、結果的に他を寄せ付けぬ強さを見せ総合1位の座に輝きました

 

そのホンダ君に唯一、土を付けたのが私だった。

国語88点の単独トップ。

英語と数学はそれぞれ100点満点が数人いたので、この成績はやたらと目立ちました。

 

バカがいい点を取ると、大抵こういう仕打ちを受ける

これが職員室でも話題になったらしく、全国1位のはずの私が、その直前に行われた中間試験では現国の成績が悪く、かつ授業態度も悪かったため、担任の教師などは「カンニングしたんじゃないか?」などと難癖をつけてきました。

 

今思い出してもムカつく。

だいたい、全国で一番成績の良かったヤツが、誰の答案をカンニングしたらトップになれるというのか?

 

国語の成績上位者に、私の学校の生徒の名前はほとんど見られず、居ても点数はずっと下のほうだし、1学年9クラスも有ったので教室は当然バラバラです。

 

仮に同じ教室で受験していたとして、私が試験官の目を盗み、あちこちの机を回って各人の答案をチェックし

「あ、これは正解だからマネしよ。あ、コイツのこの答えは違うから却下」 と判定して自分の答案を書いたなら、それは正しい答えを知っているわけだから、そもそもカンニングの必要などないだろう!!

 

言うに事欠いて「カンニング」などとは、言い掛かりにもほどがある。

 

それに、「ちょっと実力テストでいい成績を取ったと思って、学校の試験を軽く考えているのも居るようだが」ホームルームの時間に遠回しな嫌味まで言われたが、時系列をよく考えなさい。

 

全国テストを中間試験終了後に実施する企画を立てたのは君たち教師のほうではないか?

いいかね。全国テストは中間試験より後に行われたのだよ。

どうやって私が全国テストの好成績でイイ気になり、中間試験の手を抜けたというのだね?

  

ただ、ちょっとだけ良いことが・・

中学生の頃から、私は成績表を見たい友人には自由に閲覧させていた。

どうでもいいからだ。

 

その頃から、たぶん本の読み過ぎで、国語だけは学年トップクラスだった(実はそんな成績だということを、友人から指摘されるまで気づかなかった。順位を見ていなかったからだ)。

 

(というか、国語が学年トップクラスなのに、総合順位は下から数える成績ということは、他の教科がいかにひどいものだったかが浮き彫りになる)

 

うっかり良い成績などとると、ロクなことがない。

ただ、3年のとき、一瞬逆のことがありました。

 

高校3年ともなると、いい加減「学校の勉強」を受け入れるキャパを超えており、私は毎日の授業中、海南戦翌日のルカワ並みに寝てばかりいました。

 

3年から英語のリーダーを教えていた年配の先生が、授業終わりでザワつく教室内をグルリと回り、就寝中の私をチョンと突いて起こして、そっとこう言いました。

 

「やればできるんだから、やったらいい。国語の成績が良いってことは、英語もできるってことなんだから」

 

呆気に取られている私を尻目に、先生は去っていった。

私とは全く面識がなかった教師ですが、目立つ成績を取ったことで認識してくれていたらしい。

 

その後、超然としていることで人気のあった化学の先生も、「国語の強いやつは何でも強い。試験問題は全部日本語で書かれているからだ」と、これは私にではなく全員に語ったことですが、やはり試験結果が効いていたことが否めない。

 

というのは、資料の英訳を課題に出し、私の回答を深掘りしたり、授業でもちょっとした言い回しの違いを指摘するなど、その先生にしては「らしくない」ことをしてきて、肝心の化学のテストがダメな割には評価がそこそこ良かった。

 

「なるほど。日本人でいて、『国語が強い』というのはそんなものなのか」

認識を改めた私でした。

 

しかし、数学の問題などは相変わらず何を言っているのかさっぱりわからないし、英語も学ぶ必然性を感じない。

ましてや、出来事を羅列しているだけの日本史や世界史など、退屈でしかない。

 

大学に行こうと思わなかったのは、たぶん、「○○学科」というのを選んだとしても、高校の続きみたいな教科を受けなければならないのだろうなという恐れからです(まあ、受験しても受からなかったと思うけど)。

 

とにかく、学校の勉強と聞くだけで寒気がするくらいおぞましく、二度とあんな時間を過ごしたくないと思っていたのが最大の理由かもしれません。

 

いやー、それにしてもムカつく。あの担任ヽ(`Д´)ノプンプン