もしも100万円を渡されて
「1カ月でこれを使い切れ。もし使い切れなかったら、その分は来月渡す予定の100万円から差し引く」
そんなことを言われ
「ああそう。ま、その時は減額されてもしょうがない」
そんなクールな態度が取れる人がどのくらいいるでしょう。
私も当然「使い切る派」になると思います。
制約の多い大金は、持ってもうれしくない
ただし、この100万円、使うには何かと制約が多い。
もしいっぺんに100万ちょうど使うには、準備だけで30日以上かかってしまう恐れがある。
それに、100万円持っていることを知っている仲間たちが多く、独り占めはしづらいし、誰か一人だけを飛びぬけて優遇すると、今後の関係に差し障りがある。
結局、使い道はいくつもに分割しなければならない。
そして、全員の目があるから「ただ何となく使う」が許されそうな空気じゃない。
それなりの意義があり、支出の細目に正当性があり、100万円くれた相手にそのことを主張しつつ、おこぼれを与えた相手にもその功績を認められ、見張っている周囲のメンバーからも賛同を得る使い方を企画し、実施しなければならない。
この条件を満たしつつ、100万円を分割した使い道を決めて実践するのは厄介です。
それを継続しなけらばならないのは、もっと厄介です。
自分の懐に入れることもできないのに、使うことにはやたらと手間がかかり、しかも期限を厳しく切られている。
そんなお金だったら、多くないほうが助かる。
補正予算が嫌いだった。「使わなければならない」という緊急性がものすごかった
「今月は追加で30万円渡す。今日は20日だから、30万円は10日以内で使えよ」
いや、そんなものいらない!
しかし、使わずに1カ月を超えたら、翌月の100万円から30万円減額されてしまう。
自分自身はそうなってもいい。
でも、それを認めない連中に囲まれてしまっていて、放棄することも許されない…
私にとって、公務員時代の予算とはそんなものでした。
(※身近な感覚にするため月単位で表現しましたが、当然国の場合は年単位です)
補正予算が付く時期になると「ウチの局には付けないでくれ!」と熱望しました。
ただ、下っ端の国家公務員(これを『木っ端公務員』という)がどれほど強く願っても、取った予算が自分の勲章みたいに思っている課長級以上の偉いさんがたくさんいて、使う苦労を知らずに手柄を求め、猛烈な予算取り合戦をしている。
使うための事務作業のキャパシティーを超えた金額が上積みされ、執行にあたる担当者たちは疲弊します。
事業を受託する側だってそうでしょう。自治体とか。
同一担当者との間で、何本もの異なる契約を同時並行させている自治体担当者などもいます。
提出書類に何回も直しが入って差し戻されるうちに、どの分だったかわからなくなることもある。
都度切手を貼って送ってくるが、委託契約の金額が数万円なんていうものもあり、ただでさえ予算の厳しい自治体としてはたまったものではない。
だんだん「先に進めるため」「終わらせるため」の事業になっていったとしても不思議ではない。
「100万円で契約したら、限界税率を考慮して最低でも150万円相当以上の成果を出さなければ赤字だ」
など、民間企業的な発想は湧いてこない。
単年度決算という仕組みは、ずっと昔、事業の種別や規模が小さかったころには有効だったかもしれないけれど、現代で同じやり方を踏襲するのは無理がある。
この制度によって、中身の薄い使われ方をするムダ金は、一体どれくらいあるだろうか?
マスクやトンネル法人をはるかに凌駕するのではないかと、個人的には思っています。