論理療法は有効なセラピーで、合理的手法であるがゆえにオフィスでの指導に適するかと思いきや、職場自体が非合理的なビリーフ(思い込み)に満ちたものである場合、適用するととんでもないことになる可能性もあるという話をしました。
叱れないことを思い悩む中間管理職を導く上司の立場
部下を取りまとめて組織を引っ張る「リーダー」になる、なんて、そんな大それたことはしたくないと悩む上司(中間管理職)。
・自分自身の技量を上げること
・リーダーとして部下を教育し、ときに注意をしたりするようなこと
このふたつは、全く違う世界のことだ。
今まではヒラだったから、「昇進した」という言葉の響きが嬉しくないことはないが、そこまで強く望んだことでもないし、とにかく責任が重すぎる。
横並びの立場で「意見を聞かれる」ところまでなら何とかなる。
でもきっと、リーダー職は上手くやれないだろう。
明日から、会社に行ったら『部下』がいる。
指示を求めてくる。
要求や文句も言ってくる。
しかし、自分はそれに対し、出来ることが無い……。
昇進はしたものの……
こんな心境では、元来マイナスな考え方をしなかったタイプの人でも、自分を守るためにマイナス思考で我が身を覆うようになってもおかしくありません。
(○○○だから、やっぱり自分はダメなのだ)
こう考えることで、ずっと抱えている不安を正当化する。
このフレーズに、もはや“正解”と言っても良いくらいの安定度を感じる。
このような人が、実際にいるのです。
というか、結構な数の人がこうなのかもしれません。
自分を蝕むはずのマイナス思考で身を守る人
VS
助けようとしてマイナス思考撤廃を導く上司
気持ちがマイナス方向へ傾いて精神がダメージを受けるので、やがて心身共に蝕まれていく、という構造的な説明はわかるのですが、そもそもマイナス思考の人は、何かから自分を守るために、あえて「マイナス思考人生」を選んでいる場合もあると思うのです。
だからこそ「やみくもにプラス思考を持つことはない」といった意見があるのではないか?
もしもその状態にある人に、論理療法的な「あなたのそのマイナス方向の考えは、事実か?推論か?」という対話をしたら、素直に快方へ向かうだろうか?
身を守るために、マイナス思考を使う人にとっては、ヘタにカウンセリングでそのあたりの事情を暴かれることは、何よりも避けたいはず。
カウンセラー気取りの上司や同僚、友達はおろか、本職のカウンセラーに対しても、渾身の力を振り絞って、防御せざるを得ない。
そこまで思いつめた人を、『業務のかたわら』対処して導き、仕事の生産性を高めることができるくらいなら、腕利きのカウンセラーになって、高い収入を得たほうが良いのでは?
管理職とはいえ、あまりにも重い仕事を、ついでみたいに押し付けられていないだろうか?
『管理職』というものの性質が、時代の移り変わりの中で、大きく様変わりしているのかもしれない。
そんなふうに思えないでしょうか?