こんにちは。感情会計エモアカの四緑文鳥です。
先日「世相のうっぷん晴らしチャンネル」のことを書いたのですが、本日はその流れで「怒りの表明(攻撃)」について記事にしてみたいと思います。
自分を守る術は「攻撃の仕方」と「相手からの攻撃の受け方」がワンセットでないと、訓練の成果がでないというお話です。
自分を大切にするための怒りとは
怒りを感じた時、
「穏やかに接するのが大人が身に付ける処世術だ」として、すべき攻撃を手控えることがあると思います。
そして、怒りを露わにする人を見て「ああはなりたくない」と心の中で密かにその人を責めたりすることもあるでしょう。
ただし、その繰り返しで時が経ち、やがてそのような自分の感情のかわし方がクセになってくると、いつしかそれが無意識の抑圧になります。
抑圧の限界量は常に変化する
無意識な怒りの抑圧は、常に暖かい愛情に満たされたり、将来に熱い希望を持てていたりして心にバネがあるうちは、さほど問題になりません。
しかし、大きな挫折を経験した時や、恐怖又は苦痛(身体を含めて)などで心が傷ついたり、長引くストレスで心が硬直して、バネが弱まったときに問題となって表出します。
他人とうまく接するための処世術として怒りを抑圧したにもかかわらず、かえって人付き合いが重荷になったり、心身のバランスを崩す人もいます。
それだったら、密かに蔑んだ「怒りを露わにする人」のほうが、トータルで見ればよほど処世術という点で長けていたことになってしまう。
でも、相も変わらず世間は「あなたは優しいから」という呪縛の言葉を唱え、抑圧の続行を示唆してきたりする。
「あなたみたいな良い人のことを嫌いな人なんていないよ」
「あなたに敵なんていない。そんな攻撃的な性格じゃないもんね」
そうまで言われてしまうともはや、誰かを敵に回すとしたら「自分自身が最大の敵です。大事なのは克己心です」といったキレイごとでも言うしかない。
そして、克己心ならよいのですが、抑圧癖が付いた人が「敵は自分自身」なんていう指向性を発揮すると、極めてシビアでスパンの長い自分イジメになってしまう可能性が高い。
人を責めることを許さないのは誰か?
・やたらと人を責めるのは良くない。
・だからといって、やみくもに攻撃性をスポイルするのもよろしくない。
「良い人」は間違いなく、前者が標準モードのはず。
あくまでも「モード」であり、固定ではありません。
なのに、モードチェンジの事を忘れている人は多い。
「主張」は外部に向けた攻撃性の一種ですから、言いたいことが言えない人の根っこの部分に、このチェンジが不得手であるという要因があるはず。
たとえば、楽天やAmazonのレビュー程度でも、☆5を付けてコメントするのは比較的楽だけれど、☆1を付けて辛辣に書くのはとてもエネルギーを要する。
プラスのアウトプットがし易いのに、同量のマイナスのアウトプットは急激に難易度が上がってしまう。
反撃を喰らうから慎重に行きたい?
でも、第一の反撃を仕掛けてくるのはあなた自身じゃありませんか?
「攻撃の訓練・対人関係版」はスポーツや戦闘ほど一般化していない
以前の記事で書きましたが、叱るのが難しいのは、それが主張であり、しかもなれ合いのコミュニケーションではないからです。
怒るのと叱るのは全く別なことですが、いずれも事なかれ主義の否定という点では同系列なため、かなりのエネルギーを費やさないとできません。
先日YouTubeの「世相のうっぷん晴らしチャンネル」のことを書いたので、これを引き合いに述べますが、政官財のゆゆしき問題に対して「けしからん」と声を上げるエネルギーは相当なもののはずです。
しかも、1回だけなら何とかなるかもしれないけれど、毎日となると、動画を撮って編集する手間だけでは到底済まないほどの心理的なエネルギーを要すると思います。
さらに、特定の主張にはファンが付くとしても、その分だけアンチも居る。
視聴者の母数が増えるほど、アンチからの攻撃も増えることになります。
好ましくない相手からの負のエネルギーに対してもまた、自分の中のエネルギーを必要とします。
「攻撃を受けた時の自分の状態」を知るのが ぶっつけ本番では、ショックも大きいでしょうし、上手に対処できなかった自分への嫌悪感なども加わって、相当に心が傷ついてしまうことでしょう。
企業研修や自己開発でアサーショントレーニング(主張訓練)が行われるときは、どうしても『出しかた』のエクササイズに重点が置かれますが、『出されたものの受け方』も、併せて必要な訓練であると思われます。
上司からの理路整然とした叱責
上司からの理不尽な叱責
部下からの反抗
部下のサボタージュ行為
想像をはるかに超えていた部下の成長
・・・など、事態に遭遇して頭が真っ白になり、何も出来ぬまま凹まされ、硬直したまま失敗の記憶だけを抱き続けていてはツラいだけです。
常に先手を打って「攻撃する」側の訓練だけではこのあたりの対応はウィークなままですから、「後手に回った時の『後の先』の取り方」までをイメージしておくとよいでしょう。