【感情会計】善意と悪意のバランスシート

財務諸表から逆算で人心を読むテクニック

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世相さん4

こんにちは。感情会計エモアカの四緑文鳥です。

またまた「世相のうっぷん晴らしチャンネル」の流れで記事を書いてみます。

 

「 気づき」への価値

世相さんの論理的なアプローチや対象への斬りこみかたは非常に冴えていて、それがゆえに「うっぷんが晴れない」という諸刃の剣になっていることについて、以前の記事で書きましたが、今は少し違った印象を持っています。

 

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 目隠しされていた方がラクなこと、先送りできること 

世相さんが晴らしてくれるのはうっぷんそのものではなく、うっぷんの前にあって対象の存在をボヤけさせているモヤモヤなのではないかと。

これにより、うっぷんの根源の姿がハッキリして、わかり易く憤れるという点こそ、この方の特筆すべきところではないかと思うのです。

 

そして、これも以前記事に書いたとおり、「仮想敵を明確にしていることにより、ファンが生まれる」という流れになるのでしょう。

  

 気づいた後「考える」か? 感情論で片づけるか?

視聴者側は、世相さんにモヤモヤが晴らされたことにより、ツラい現実と直面することになる。

そして、それに向き合うか、”見なかったことにする”かの2択を迫られることになります。

 

その選択にあたって、まず頭の中では各種の計算をするはずですが、いざアウトプットする段階では”好き嫌い”という感情論に落ちているのが普通です。

 

そして世相さんに対して「目を覚ましてくれた」と褒める人はファンになるし、「この人暗いことばかり言うからキライ」と思う人はアンチか無関心という方向へ行くのでしょう。

 

まあ、そういうのも今流行りの『自己責任』っていうやつなんでしょうね。

 

「自己責任」の適用範囲は? 

「食べ物をください」と紙に書いて路上に立った30歳女性

ところで、自己責任というワードが出たところで、こちらの動画です。

先月のニュース記事に関するものですが、コロナ禍で解雇されて生活が成り立たなくなった30歳の女性が罪を犯すに至るまでの悲惨な状況を、世相さんが紹介しています。

www.youtube.com

世相さんは動画の中で「この女性は最初から未遂で終わらすつもりで犯行に及んだのかもしれない」と、控えめに語っておられます。

 

 「和久さん、新年は留置場で迎えさせてよ」と軽犯罪を自首するワンシーン

これを聞いたときに思い出したのが『踊る大捜査線 歳末特別警戒スペシャル』の中のワンシーンです。


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 新年を暖かい留置場で迎えたいからと、ホームレスたちがわざと起こした軽犯罪で湾岸署に自首し、収容してくれと和久さんに頼みにくるくだりがあるのですが、世相さんが紹介したニュースの女性は、これより更に悲惨な状況です。

 

彼女は家賃が払えなくて夜逃げ同然にアパートを出たあと、公園などで生活し、紙に「食べ物をください」と書いて路上に立つなどでかろうじて食にありついていたが、このままだと命を失うということから犯行に及んだようです。

 

但しこの女性は「現金を奪うため」というよりは「食と住の保障を求めて」犯行に及んだ可能性があると、世相さんは表現しています。

 

逮捕されたときこそ彼女の人権が日の目を見るので、普通なら人生終わりとなってしまうような犯罪行為の実施が、むしろ人生を保たせる手段になってしまうということですね。

『切羽詰まったときの行動原理』が「自己責任」ってことでいいの?

「知る」ためには「孤独」になってはいけないのだが・・

コロナ禍で職を失って生活に困っている人は、これからもどんどん増えていくでしょう。

 

「それで切羽詰まった人にも、自己責任でなんとかしてくださいで済ませてよいのか」問われれば、政府や行政の見解は「そういう下支えは、制度としてできている」という回答になるでしょう。

「知らないことが悪い。それも自己責任だ」と。

 

困れば困るほど孤独になるということもあるし、孤独であるがために色々と困るという側面もあります。

 

この孤独と困窮の負のスパイラルの中では「知る」ということ自体のハードルが高くなることが充分に考えられるので、「知らないのが悪い」と言われてしまうとそれはどうかなと思います。

 

ピッコロ大魔王の政権との違い

この一件が表している一つの形は「善人の命の保証は無いが、悪人になれば命を保証する制度がある」ということであり、セーフティネットの裏ワザみたいなものが存在していて、「命をつなぐためにどれを選ぶかも自己責任」みたいな皮肉さがあります。

また、犯罪を犯して成功すれば生活の糧を得られ、失敗すれば刑に服して生命を保障されるという、絶対におかしい理屈が立ってしまうことです。

 

すでに、詐欺事件の片棒を担いていたのが「悪者」という以前に「弱者」だったということが起きていて、こういうのはコロナとは関係なく昔からあったことですが、コロナ過で増大することは確実かと思われます。

 

「足らなかったら奪えばよい。それも自己責任」というのは、ゲームやビジネスなどの正当な競争の中では確かにそうでしょうが、生活維持のために背に腹は代えられぬとして犯罪が行われてしまうとなれば、やたらと『自助』を強調するのはどうかと・・

 

なんだか、ピッコロ大魔王が掲げた理想を連想してしまいます。

彼は全国民に対し、わかり易く「悪事」を奨励しましたが、ドラゴンボールの世界から翻って私たちの生活を見てみます。

 

今のコロナ禍(しかもさらに悪化が予測される中)で、困っている人の声を理屈で抑えつけたあげく強調される「自助」は、拡大解釈しないと助からない人がたくさんいる中では、悪事の奨励と変わらんのではと、思ってしまうことがあります。

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