しばらく前に、総合支援資金(二人以上世帯)の融資枠が60万円(3か月分)追加され、最大200万円までの借り入れが可能になりました。
(緊急小口資金20万円、従来の総合支援資金120万円、今回追加60万円)
一刻でも早く現金を必要とする困窮者は、必死の思いでこれを利用するでしょう。
もし私が現在も公務員の立場だったら、このニュースを聞いて「なんとか一人でも助かってほしい」と考えたでしょう。
怖いのは、そこで思考が止まってしまっただろうということです。
本当に困ったことの無い、困る見込みのない立場に身を置きつつ、そこで思考を止めないためには、天才的想像力が必須。
凡人の私は昔、困窮を経験したことにより、止まる思考の先を思い知った……
借りた総合支援金以外にも、国に対する債務が発生している
以下、かなり情けない昔話です。
ただ、昨今の状況を考えると、困窮状態に陥ることへの罪障感を持たせる言い回しは良くないと思う。
ゆえに「情けない」という文言を抜いて”かなり昔の話”と言い換えることとします。
就職難でもがいているうちに、年収160万円に
私は公務員を辞めた後、再就職に苦労した時期がありました。
ちょうどそれは、就職氷河期世代が最初に打撃を受けたのと同じ時期です。
就職難の時代に、公務員の経験しかないというのは「勤めたことがない」というのとほぼ同じレッテルになる。
私の就活は難航し、その場しのぎの職を転々とするうちに、年収は160万円ぐらいになってしまった。
1年でそうなったわけではありませんが、結果的に公務員時代の最後の頃の年収と比較して、1/3未満に減ったことになります。
急速に低下する生活レベルへのチューニングも困難で、蓄えの減りも早い。
前年に収入があったことへの罰則なのか? 住民税と国保
すっかり落ちぶれた私に対しても、住民税の通知は来る。
仕方ないのでそれは払うにしても、健康保険の手続きはすっぽかしていました(年金も)。
医者には一切かからずに過ごしていましたが、あるとき重い風邪をひいてどうにもならず、区役所へ国保の手続きに行きました。
すると、健康保険は国民年金と違って免除の制度が無いとのこと。
遡って金額が計算され、窓口の担当者は私が支払うべき金額を告げた。
正確に覚えていませんが、その時点で20数万円か30数万円でした。
「そんなに払えない・・・」
思わずそうつぶやいた私に、区役所の担当者は分割の月払いを勧めた。
分割払いする「公的借金」への変貌を遂げた国保
無理のない金額を、と言いつつも、さすがに月1,000円というわけにはいかない空気感の中「毎月5,000円」ということになりました。
仮に私の債務が20万円だったとして、月に5,000円だと40回払い。
さすがに5,000円の納付書を40枚とか60枚印刷することはせず、20回分くらいの5,000円納付書の束と、残り全額分を1枚とかだったと思います。
20回納付が終わっても状況が改善しないようなら、残額をまた分割するので相談してほしいとのことでした。
それからとうぜん、今年の国保支払いも発生している。
とりあえず月5.000円を止めずに支払い続けてもらえればよいとは言われたが、その間にも今年分、来年分と、次々に上積みされていくことを示している。
長期にわたる金銭債務の解消となるわけですが、金利は発生しないようで、その点はありがたかったけれども、気分的には大けがを負ったようなもの。
もともと高熱を発していたところに加え、深い精神的ダメージを受けた私は、おぼつかない足取りでトボトボと区役所を後にしました。
これは「借金」ではないかもしれないが、収入が劇的に爆上がりの回復でもしない限りは『長きにわたって強いられる返済生活』が、この状況から開始されました。
容赦のない住民税
ちなみに住民税を同じように分割すると、こちらは容赦なく延滞金が発生します。
延滞金免除規定もあるのですが、こういうのはお金や時間がたっぷりある人用の記述です。
とうてい、広く国民に開かれた窓口的な説明ではない。
「延滞税の納付が困難な場合の免除」を読んでみた結果の、私の個人的な印象は以下のとおりです。
立て続けに展開される条件抽出や除外文脈の罠をすべてクリアして到達した結論を、今自分が置かれた状況へ適切に当てはめることができ、さらにそれを役所で論旨展開できれば延滞税の免除は可能だと思います。
そういう条件を備えた人が、気持ちに余裕をもって読んでいる場合に使いこなせる免除規定であり、生命財産の危機に脅え悶える困窮者だと、そこまでの精神的余裕はあまり期待できない。
結局、実質的に容赦なく足切りが行われている印象をぬぐえない。
当時の私は、免除規定すら知らなかったので窓口で質問もせず、甘んじて延滞金を受け入れざるを得なかった(ネットが充実してない時代の頃なので尚更ですね)。
救済措置は金額だけで為されるわけじゃない
話を現在のコロナ過に移します。
収入が激減して融資を受けるほどの状況になっても、上に述べたような公的支払は発生し、滞れば債務として積み上がります。
国保を分割払いでしのいでいた若き日の私はアルバイト就業だったので、社会保険料も住民税も、自身が受け取った納付書に基づいて払う。
困窮する中で、これらのものが、直接に我が身へ降りかかっているという実感を受けることができました。
一方、会社が社保などの控除額計算をしてくれている人は、実生活がどれほど困窮していても、容赦なく差し引かれているという感覚は、間接的なものになりがちです。
最終支給額の少なさに苦しんで国に助けを求めつつも、その国に対してしっかり納税しています。(もちろん消費税も)
状況は、鑑みられていない
これってどうなの?とは思いますが、「困窮者の状況を鑑み、総合支援資金をさらに3ヶ月分増額します」という包括的な言葉は、役所の窓口対応や、困窮者の生計キャッシュフローなどの個々の現場に、そのまま当てはめられるものではない。
かなり細かな運用や、その裁量といった体制が調わないと、望まれるだけの救済機能が具現化しない、というのが私の経験からの実感です。
曖昧なところを属人的な要素で埋めるのはよくある話だけれど、その範囲が広すぎると思う。
曖昧な点が残っていると、結局は強い側が勝利するでしょう。
ランチェスター戦略でいうところの「強者の戦略」で戦う戦場では、困窮者が圧倒的に不利です。
たとえ自治体の窓口担当者が優しい人格者であっても、強者向けの戦場で困窮者に寄り添い「弱者の戦略」をやってのけるのは難しいこともあるでしょう。
温情主義を上司から咎められることがあるかもしれない。
無理のある返済を、暗に強要される
私が国保を分割払いしている最中、まとまった残額を再分割することが数回ありましたが、区の担当者によって態度がまちまちで「5,000円でお願いしたいんですけど」と言って嫌な顔をされ、10,000円にしたこともあります。
こういうのはまさに、ルールが整備されていないゆえに、暗に現場担当者に判断を押し付けた結果でしょう。
ルールがキチンと決められていれば、窓口担当者は明快なセリフを口にできる。
「ああ、月に5,000円ですね。いいですよ」
もしくは
「残念ですけど、あなたの場合には10,000円以上でないと分割が認められないんですよ」
など制度上の決まりを告げたうえで、そのたたき台を元に救済措置の相談にのる、というプロセスに移行しやすいでしょう。
役所の窓口担当者個人の性格や、その日のコンディションに任せてしまっていると、かつての私のような目に遭う人間がいても不思議ではありません。
「強者の思い込み」を弱者に押し付けるな
コロナ過での支援金関連の話でも「住民税非課税世帯かどうか?」が云々されるほど低収入になっている人にとって、「60万円追加」とか「最大200万円」という額は、返済するステージになったらそれはもう非現実的だ、というのが”現実”だと思う。
政治や行政は現実の生活に役立ってナンボだと思うのですが、元々の総合支援資金制度も追加対策も、弱者との関係性が成り立っていない気がする。
困窮者にとっては「現金が手元に入ってくること」だけが現実で「返済」なんて幻想でしかない。
一方、国は幻想のほうにご執心な様子が見えてしまう。
強者(国)の戦略を仕掛けられている中で、弱者(困窮者)がそれに合わせてはいけないと思うのです。
弱者に手を差し伸べさせる財務省(プライマリーバランス狂)は有事でも容赦なし
強い者が弱い者の立場に合わせてやるのは、調節によって可能なことが多い。
特に金銭面という数値要素ならば、科学的検証やデータの収集・解析も比較的容易です。
しかし、弱者から強者に合わせる調節は不可能と言えるでしょう。
それができるなら弱者であるはずがないので・・。
「政府だって色々やってるんだから」という擁護コメントは各所に見られますが、その一方「やった感を出しているだけ」という批判も多数あります。
「政策に実際の効果があるかどうか?」をシビアに問うか問わないかの分断現象でしょうか。
ただ、今回の有事の中での救済措置が「やった感の演出」というのは、困窮者にとってはたまったもんじゃない。
と、困窮と絶望の経験者(四緑文鳥)は当時を振り返ってつくづくそう思います。
(私の場合は自業自得でしたが)