コロナ過で窮状にあえいでいるのは、生活が立ち行かなくなった人だけではない。
その予備群を含めるとかなりの数だし、「今後、自分も危ない」と自覚していない層を加えると、実はすでに困窮者と呼んでよさそうな人の数は、政府の緩い観測をはるかに上回っていると見てよいはず。
上医と呼べる医者の措置は、絶対に『後手』ではない
病気は早めに対処すれば予後の経過もよく、元通りの日常生活に戻りやすい。
だが、重篤な症状に進んでから処置した場合、もはやそれまでの人生が歩めなくなる可能性は格段に高くなる。
経済的な困窮も同様のことが言える。
救済は金額だけで考えてはならない
経済的コロナ感染から経済死に至るまでの間の、どの時点で救済措置が為されたかによって、救われる人の数と、救われ方の質は圧倒的に違ってくる。
政権が主張する「セーフティネット、最後には生活保護があります」は、実に怖いことを言っていると思う。
もはや自力で起き上がれないほど病状が進まないと受けられない措置であると言ってよく、復活するための財産を失ってからでないと申請に通らないなどの例はよく聞く。
具体例としては、自動車を所有しているなら、それを処分しないと受給要件を満たさない等(地域によっては車所有はOK)。
ダメージは”時間”の経過で重篤になる
実態はそんなことよりも、心理的ダメージだと思う。
仮にちょっとだけ財産を残した状態で生活保護が受けられたとしても、再び元気に働こうという気持ちになれないほど落ち込んでしまっては、結局早々に人生が終わってしまう危険性も高い。
家族が居ればまだしも、単身の孤独状態で支え合う相手も居ない人の場合、この心理的ダメージの度合いは一層に大きい。
2度目の定額給付金は怪しい
そんな中、ついに政府も2度目の定額給付金について前向きになったというものの、昨春すったもんだの末に流れた「条件付きで給付」をまた言い出している。
『減収世帯』か『住民税非課税世帯』に限定して支給だとのこと。
そんな難しいことはできないから、昨年は頓挫したのだと思うけれど、また繰り返すのか?と思う。
ここでいう「難しい」とは、机上理論の辻褄と計算問題で割り切れるか否か程度のことを言っているのではない。
「目指す相手が現金を手にする日のコントロールが利くのか」という適時性までを含んで可能なのか?という意味だ。
真水予算と真水時間
理論値が減衰・歩減りして効果が薄まってしまったら、救われるはずの経済的感染者たちが助からない。
「〇〇万円は真水の金額だ。約束どおり手元に届けたのだから、我々は職責を果たした」という言い訳は通用しないと思う。
なぜなら、「いつまでに届ければ、経済的重篤症状者を増加させずに済むか?」という時間の観念が入っていないからで、こういうのは政治家や役人が最も鈍い点だ。
「セーフティネットで〇〇万円の貸し付け枠は作ってあるから、使いたい者は使ってくれ」は絵空事
かつて私自身が困窮した時代のことを記事にした中で書いたことになぞらえると、そんなのは『貸す側の自己満足』であって”借りた側”の視点に立っていない。
特に”借りたあと、返す段階”の考慮が全くされていない。
「私には庶民感覚の想像力がある。皆様のために働ける人間なのです!」と高らかに主張して今の自分がある政治家。
「全体の奉仕者として、多くの人々のために働ける場所を求めています!」と、キラキラした目で訴えて採用面接をパスした官僚。
その誠意と実力がモロバレになるコロナ禍で、恥をさらす不正の発覚が後を絶たず、モラルハザードで求心力のほうも指数関数的な影響を受けている。
誰かが言っていたけれど、「少子化で国民の数が減っているのだから、議員も減らせ」という意見がある。
たしかに、物や事柄は、規模が大きくなるにつれて統制が難しくなる。
特権階級と勘違いしている議員さんが居るならば、議席数は今後一層シビアな指弾に晒されるだろう。
逆に、こうすれば議員さんたちが大好きな「議席数」が増やせるんじゃないですか?という皮肉さたっぷりの私見を紹介し、この不服だらけの記事を終了します。