【感情会計】善意と悪意のバランスシート

善と悪の差し引き感情=幸福度

議員と官僚に「困窮者」の定義は絶対にできっこない

その昔、カツカツの生活にあえぐなか、さらに20~30万円の国民健康保険の支払いを求められた私。


お金のある人にとっては20万なんてちょっと頑張ればすぐに工面できる金額でしょうが、何せ当時の私は年収100万円台・・・

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経済的に言えば、贅肉のまったくない、骨と皮ばかりの体みたいなものです。
数万円の臨時出費だって、とんでもない痛手を被る状態。

 

そんな中、多額の負債がのしかかってきた衝撃は想像を絶するものでした。

 

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「返せるだけの借り入れ」が最初から破たんしている

 

コロナ禍で総合支援資金を借りた人は、厳しい貸し付け審査に通った人です。


つまり、相当にしみったれた国の基準を満たすほど生活に困っている人ということになる。

 

生きるだけで精一杯なほど生活力の弱まった人が、月に20万円を借り、命をつなぐ。

 

返せるだけの生活力が身に付くとは思えない状況だが、そこはすべて自己責任の名のもとに、当人の力不足のせいにされてしまう。

 

そもそも、その生活力が無い状態に追い込まれてしまったから貸し付けに頼った。

 

これでは、ほぼすべての人が返済能力が身につかないまま、借りた金を消費するだけの状態になる

 

貸付けが複数月になれば、その分だけ掛け算されて、全て負債となる。

 

金持ちには絶っっ対に伝わらないニュアンス

たかだか20万円を「命をつなぐため」に借りる・・

この状況は、お金のある人には想像はできても共感は絶対に無理

 

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低収入の人にとっての借金20万円は、そこそこ稼げる人が背負った負債とは比較にならないほど莫大なものとなる。

 

そんな状況に陥った人の返済計画というものが、そもそも成立するか?

 

そういう相手に「カネを貸す」なんて、よく言えるな。

政府が、さ。

  

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カネを貸し、その一方で税金をかけ続けることに無頓着な破たん思考

 

ちなみに私は一気に生じた20〜30万円の国保未納付金額を、数年かけて完納しました。

 

そして、月々の納付を続ける最中も、月々新たに国保の掛金は発生する


怖ろしいことに、返済額よりも新規発生額の方が大きいので、返済(納付)期間中、常に負債が積み上がっていきます。

 

救済は金額だけ決めれば良いなんて甘ったれたものではない

「困窮して苦しい人のために、借りられる額を引き上げます」

こんな無慈悲なやり方があるか?

 

ここでなによりも声を大にして言いたいのが、貸しますと言った金額はただの数値に過ぎないが、その事実を受け止めるのは借り手側の心である、ということです。

 

精神がもたなければ金額の多寡にかかわらず、当事者は追い込まれていく。

 

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結局のところ『返す力』より『容赦なく発生する税金』のほうが大きいので、生活はちっとも楽にならない。

 

常にその現実と向き合わなければならない。
私もそうでした。

 

ブラックへ勤めて苦境を脱するには、かなりのモチベーションが要る

当時アルバイト暮らしだった私は就職活動をし、最後にはブラック企業と言われる職場へ勤めることになりました。

 

当時はまだブラック企業という言葉が一般化されていない時代でしたので、当然私もそんな認識はなく、かなり条件が厳しい勤め先だなという感覚でした。

 

しかしそうでもしないと、アルバイト暮らしから抜け出すことはできない。

 

「バイトよりマシ」は「バイトのほうがマシ」とほぼ一緒

新たに入った勤め先の給与も、至って低いものではありました。

 

しかし、アルバイト暮らしよりは若干ましなうえ、一応正社員であることは救いでした。

 

増える一方の国保未納金額が、そこでストップするからです(社会保険料の天引きで手取りが減るのは避けられないけれど)。

 

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私が次にすべきことは、このブラックな環境の中でどうにかして収入を上げ、最後には脱出すること。

 

・・というのが、この頃の私のモチベーションでした。

 

「コロナ対応の救済」は机上理論よりも遥かに手前ですべき行為

少なくとも救済措置というものは、上で述べた程度のモチベーションが保たれる状態のうちに行なわれることが第一の絶対条件となります。

 

精神が弾力性を保っている間でなければ、再出発することができません。

 

既存の困窮者の定義(お決まりの『住民税非課税世帯』)を使いまわす程度の力量しか持ち合わせていないにもかかわらず「我々は賢い」と学校や採用試験の成績だけで能力判断された官僚には、まずできない相談です。

 

ましてや、自ら考えたり刻苦勉励することを官僚任せにし、票取りと資金集めしか頭にないような議員には、より一層期待はできないと言わざるを得ない・・・

 

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能力が無いのだから、一律支給するのが、能無しな彼らができる唯一の仕事であり誠意である。

 

それができないのなら、次の選挙では弱い者から消えてもらうしかない。

 

在野は、それが現実なわけなので・・・