味覚と嗅覚を失い、体温が39度近くまで上がる。
4日前にもらった解熱剤が効かなくなった。
薬をもらった内科は盆休みで1週間後からしか開かない。
別の病院に相談すると「東京都発熱相談センターへ連絡しろ」
そして、センターへはいくら電話してもつながらない。
「いのちの電話」は、どこにかけたらよいか
(このまま1日経過し、もらった解熱剤がなくなったら・・)
効き目が感じられないとはいえ、実際には飲んでいるからこそ39度弱で済んでいるのかもしれない。
とにかく、このまま夜を迎えるのは直感的にマズい気がする。
私は、厚労省、区、都のHPで示されている国民(住民)向けの発信を無視することに決めた。
「発熱相談センターへ連絡してください」と私に告げた病院へ再度電話し、「センターは一向につながらないのだが、どんな状態になってもこのまま連絡を試みるしかないのか?」と問うた。
救急車を呼んでも来ないとか、搬送先が見つからないなどのニュースが増えている矢先のことなので、私がこの時かけている電話は、ある意味【いのちの電話】と言えたかもしれない。
政府が周知する文章は「現実変換」して読み取るべし
病院の受付担当は、基本的には定型的な案内をすべく指示を受けていたようですが、さすがにこの状況に陥っている私を切り捨てることもできず、看護師の方に取り次いでくれました。
菅政権は感染者を容赦なく切り捨てる骨太の感染者放置方針を取っているけれど、それは命に関する無責任ゆえのことで、やはり病院はその職責を果たしてくれたようです。
このへんが、後方で理屈だけこねている者と、前線で現実を戦っている現場員の人間性の違いといって良いと、現場寄りの発想を持つ私は強く感じる。
少しやり取りがあった後、その看護師さんは、盆休み中の土曜日である本日にコロナ対応をしてくれる近隣のクリニックを調べて、私に告げてくれました。
そこでは検査もしているとのこと。
(遠いな・・)
実は、そのクリニックの名は知っていたけれど、距離がありすぎるので対象から外していたのですが、もはやそうも言ってられない。
それに、幸いなことにその日は雨が降っていて、炎天下の中を歩くダメージは受けずに済む。
教わったクリニックも電話がなかなかつながらずに苦戦しましたが、それでも比較的早くに通じたので相談し、熱が少し下がったタイミングで、テクテクと結構な時間を歩き続け、受診することができました。
ここではじめて【医療のレール】に乗れたことになります。
普段払うばかりでほとんど権利を行使しなかった健康保険の対価を得られることになったわけです。
なんのことはない。
政府や行政が我々に出している告知をシカトすることで、私は権利の行使を実施できた。
「政権批判とか、政治のことをあれこれ言うのはよろしくない」と国の仕組みに対する自己の認識をスポイルされ、牙を抜かれたような人は多くいる。
しかし、”国の仕組み”とは”人の生活の集合体”でもあるのだから、近視眼的な学級委員のように、ただ眼前の否定的態度を責めるのは却って本筋を外した余計な分断を生む。
上の人、偉い人に逆らうのがすべて『悪』であるかのような錯覚はいい加減やめにしないと、自分や大切な人の生命財産を、後方で理屈をこねている輩の私利私欲のために差し出すことになる。
コロナ感染で苦しんだ経験の中から、つくづく味わったことだ。