【感情会計】善意と悪意のバランスシート

善と悪の差し引き感情=幸福度

味のしないカラムーチョ

味覚と嗅覚を失ってから、ちょうど2ヶ月(8月13日発症)

 

未だにどちらも麻痺が残っていて、4割から5割位しか感覚がありません。

めまいも相変わらずで、疲労度と密接に関係しているので、体調には常時注意が必要な状況です。

 

味覚に関しては先月半ば頃、8割がた戻った瞬間があったのですが、まさに「瞬間」で、直後には元の麻痺状態になってしまいました。

 

私は辛いものがあまり得意ではなく、辛さのある食べ物を食べてしまうと、その辛さゆえに他の味がわからなくなる度合いが高い。

 

しかし、辛いもの自体の味がわからないと、かなりの無敵状態になることも経験しました。

 

 

味で判断する「適量」

 

この感覚異常が起きてから、味を知らないものが食べられなくなりました。

 

言い方を変えると「味の想像がつかないものは、食べないようにしている」

 

おそらく誰でも、初めて食べる物は、まずそれを味わってみて糖分や塩分、添加物などの具合を判断しているはずです。

 

「もっと食べても良いか、早めにストップしておいたほうが良いか?」は、味の濃さや味の不自然さ/自然さといった、瞬間に感じられる味覚で察知し、それにプラスして、経験からくる判断で決めていると思う。

 

味を感じない無敵状態は、体に対してどんな無茶を強いてしまうかわからない。

要警戒な状態です。

 

納豆、キムチ、カップスープでチェック

 

人によって尺度は違うと思いますが、私は味覚がどれだけ戻っているか、決まった食べ物で判別しています。

 

味覚障害の度合いは一定ではなく、体調によっても随分左右されるので、どんなときにどのくらいの回復度なのかをモニタリングしています。

 

もう少し安定して高いレベルで回復していれば、淡い味の食物で判断して良いと思いますが、5〜6割も死んでいる状態では、濃い味のものを使わざるを得ない。

 

今は、以下の3種類を用いています。

キムチ

国産の白菜を使い、漬け材料は化学調味料不使用

辛さは比較的マイルドで、味覚が普通のときでも少量ずつなら食べられるキムチ

残念ながら、今は小皿に盛り上げても完食できるほど、味覚は死んでいる・・

 

納豆

極小粒、小粒しか食べなかった私が、一度これを食べてからというもの、完全にこれ一択になってしまった心地よい食感。

 

タレは添加物が入っているので避け、カラシ・亜麻仁油・醤油で食べています。

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普段ならこれを単体で食べるのはキツい(味が濃いので)ですが、今は余裕でこれだけを食べられるし、むしろそのほうが美味しい状況・・

 

カップスープ

ポッカの「じっくりコトコトシリーズ」の中では一番好み。

牡蠣のクセがかなり濃厚に鼻奥のほうまで薫ってくるのが魅力なのですが・・

残念ながら、今の私には体調によって全く感じられない。
感じられても、ほんの微かでしかない。
 
牡蠣の身を噛んでも、僅かな甘みが舌の奥のほうで控えめな自己主張をするのみ。
甘味は舌先で感じると聞いたことがあるが、舌奥で感じる甘味とはなんだろうか・・
 

ついでに

記事タイトルの「味のしないカラムーチョ」は、数日前の状態です。

本当に何の味もしない。

 

キムチの辛さはある程度わかるのだけれど、こちらの辛さは分からないというあたり、やはりスナック菓子の調味は色々複雑に(化学的に)作られているのかなとも思う。

 

結局、ポリポリ感だけしか感じないので、それなら柿の種でも噛じっているほうがよさそうだ。

揚げ菓子より、焼き菓子のほうが、まず間違いなく体への負担は少ないし。

とはいえ、カラムーチョは美味しいですね(感覚さえ戻れば)