よく「クリエイティブ脳」なんて言いますが、 これは一体どんなものなのでしょうか?
とにかく、他人よりもこれがあることは明らかに有利であり、稼げる人の多くはクリエイティブ脳の持ち主といってよい気がします。
人によって、どんな場面でそれが必要になるかは千差万別だと思います。
ですが、これはブログ記事ですので、ここでは「言葉の表現」を例にとって述べてみます。
他人の頭にスルッと入るコンテンツ化がなされているか?
「オフィシャルな場面で他人に何かを伝えたい時は、コンテンツ化が必須条件だ」
そんなことを、誰かの相談を受けた際に話したことがあります。
頭に浮かんだことを、うわごとのように喋ったら、それを聞いてくれるのは、あなたが幼い頃の親くらいしかいないと、たしかそんな話だったはずなので、何かの指導の時かも知れません。
話したすぎて、話がヘタになる
言いたいことがありすぎて、何から喋ったら良いかわからない。
いい大人と言われるほど の年齢になっても、こういうことはよくあります。
一つのことにフォーカスして喋っているつもりなのだけれど、好きなトピックが点在して、それを全部話したくなることはよくあります。
すると、自分では順序よく話しているつもりでも、 聞かされている相手の側からは、 やたらと話が横道に脱線しているようにしか思えない。
その時に好意的な人は 「 この人よっぽど話したいんだろうな」 くらいには考えてくれると思いますが、そこに 一本筋の通ったロジックが存在していることには、なかなか気づいてもらえないでしょう。
つまり、伝えたいことは伝わらない。
たとえ日常的な会話といえど、思いを伝えるにはそれなりの構造を持つコンテンツ化が要るというわけです。
コミュニケーション力は「コンテンツ化能力」でもある
例えば、「実体を持つ何か」が好きだとして、それを誰かに伝えようとする。
そのとき、たくさんある切り口の中の、どの部分にフォーカスするか?
これにはかなりの技量が要求されます。
一つのことをいろんな角度から見て、分析して、導き出した一つの結論へ向けて話を進めようとする場合には、読み手の頭にそのままスポッと収まる造りにするのが望ましいでしょう。
すると、コンテンツ化は欠かせません。
逆に、「概念的な事柄」は、どの立ち位置から捉えるか?
本来まとまりのないモヤモヤしたものの中から、「好き」とか「面白い」と感じ取るにはそれなりのセンスが必要ですから、そのセンスを伝えたいとなれば、結構な技量が必要です。
そのためには、やはりコンテンツ化が必要でしょう。
いずれにしてもかなりクリエイティブな能力が必須ではないでしょうか。
べつに芸術家や技術者じゃない一般人にとっても、”クリエイティブ脳” は身近なものだということが、このことから類推できます。
好きなもの(事)をコンテンツ化する訓練
好きなことをコンテンツ化するといえば、ブログなどはその訓練にうってつけです。
ブログは「好きなもの」、「嬉しい気持ち」など、基本的に「思いの強い事柄」を軸に論述を展開することが多いでしょう。
そうなると、頭の中は、つい「言いたい順番」に 言葉が並んでしまいがちです。
「書きたいことが書ければいい、断片的な、コラージュみたいな文章でも、書くことさえできればそれでいい」という人は別として、多くの人は『この時の気持ちを共有したい』とか、『自分のセンスを褒められたい』という願いがあるでしょう。
やはり、他人に読んでもらうことを前提に考えると 、 やっぱり「伝えることを目的とした文章」としてコンテンツ化したほうが良い。
そうしないと、せっかくの良さが、自分が望んでいるほどには他人に伝わらない。
つまり、伝えたい思いの強さに比例して、コンテンツの質も求められそうな気がします。
意外に多い「クリエイティブ脳」の持ち主
好きなことをテーマに、一貫したスタイルでブログを書き続ける方はたくさんおられます。
さらに、はてなブログで言えば、読者登録数が一定数居るならば、それはコンテンツ化がうまくいって、伝えたい事柄が伝わっているということではないでしょうか。
意識されているかどうかは別として、そういった方々はクリエイティブ脳を持ち、それを日常の人間関係に生かしている【達人】ではないかと、密かに思っています。
「好きなことを、そればっかり、只々書いてるだけですよ」
と、謙虚にそんなことを言う人は多いですが、それがすでに人に秀でた能力ですよと言いたくなるブロガーの方々に、私はあこがれています。