言いたいことを言うのに失敗する。
それは、「何を言うか」の中身よりも「言い方」の演出が主体になるからだ。
特に、権威や制度を相手にすると委縮してしまうので、ますます舞台や道具立てに気を使う。
曰く、「どこで言うか」「どのタイミングで言うか」「抑揚はどう付けようか」「体裁をどう保つか」など【発表会の段取り】に力を使い切ってしまう。
陳情を受ける官僚側にしたら、クレームを言ってきたはずのやつが、勝手に目の前でキリキリ舞いのパフォーマンスをしてへたばってしまった。
無様な姿を見下ろして優越感に浸る格好のアトラクションの後は、すでに襤褸クズのようになっているそいつに対し、気持ちを汲んだふりをして追い返せばよい。
ちょろい。ちょろすぎるぞ下層民。
そんな腹の立つ状況が生まれるプロセスを前回の記事で書いた。
なぜこんなことになってしまうのか?
「全体の奉仕者」が流行らせたフレーズは疑ってかかるべし
上で述べたように「言いたいこと」が自己崩壊して勝手にダウンした弱者に対し、官僚は相手の言を理解した証拠だけは残しておきたい。
その折衝の際に使う言葉として、広く一般に流布されている「象徴的な言い回し」は効果的だ。
下の記事でも書いたが、たとえば「三蜜」みたいな言葉は、言ったほうも言われたほうも、この単語が入っていれば、少なくともその部分だけは ”分かり合えたような謎の共感” を生む。
どこか一点でも伝わった形跡があれば、陳情者は家に戻ってそのことを身の回りの人間に伝えることができる。
戦国武者が討ち取った首をぶら下げて戦果をアピールするかのように「戦って成果を出した証」は欲しい。
戦いに行った弱者は、官側から発された「象徴的なフレーズ」をいそいそと持ち帰る。
あっぱれな勝ち戦の話を肴に、仲間たちと勝利の美酒を味わうことになるのだが、まんまと官僚に騙されているという寸法だ。
安定の「ダブルミーニング」
今回、この揚げ物用菜種油をモチーフにした一連の記事の中では【ドラスティック回避】という単語を「象徴的なフレーズ」ということにしている。
しかし問題なのは【ドラスティック回避】が、同じ言葉であるにもかかわらず、官側と民側で意味が正反対ということだ。
一般市民側の見解
一般市民にとっての”ドラスティック”は、来年1月からの菜種油の値上げにより、予算額を超えてしまうので1月の消費をストップすること。
揚げ物はできなくなる(生活の一部となっていた恒例の事象が強制停止)。
ゆえに、安定的/継続的な家計が狂ってしまうことは是が非でも避けたいと思っている。
全体の奉仕者(官僚や政治家)の見解
一方、官僚にとっての”ドラスティック”は、広く国民を富ませる財政出動を行うこと。
むしろ、消費が冷え込む値上げが起きた時こそ、増税して強靭な国家財政維持を図るべし。
困窮する国民を救う大規模支出は是が非でも避けたいと思っている。
今いちばん使える言葉は ”給付金”
ちょうど今、10万円給付のはずだったものが、その内5万円をクーポンで実施するという話が問題になっている。
それに対して「”国民に給付”は『手段』であり、『目的』は事務費の名目でお友達企業に資金を融通することだ」という意見が出ている。
10万円相当給付『事務経費1200億円』 ひろゆきさんが皮肉 「政治家にとって国民にお金を配るのは…」:中日スポーツ・東京中日スポーツ
1200億円ならば、一人当たり10万円とすれば120万人分(?)
「その規模の額をあっさり事務費に使えるぐらいなら、所得制限など最初から必要なかった」
「現金一括なら300億円で済んだ」
など、あり得ないような話になっている。
だが、お友達企業へ一足早く、来年の参院選用お手当てバラマキが目的だったと言われれば、そっちの話なら十分あり得るなと思うことが可能だ。
コロナ禍でいやというほど見せつけられた与党の醜態の相似形であることから、蓋然性は充分にある。
【給付金】で紛糾している間に・・
ここでも問題だと思えるのは「新自由主義からの転換」を高らかに叫んだ新総理による【成長と分配】【給付金】などの連関する象徴的フレーズだ。
「数打っておけば、どれかがヒットするだろう」と思ったかどうかはともかく、【給付金】はやはり最も国民に刺さり、話題沸騰、共通認識単語として最強のものになった。
「成長と分配の好循環」による新たな日本型資本主義〜新自由主義からの転換〜 - 岸田文雄 公式サイト
国民から見れば【給付金】というのは政府が支出してくれて、自分の手元に入ってくる ”無駄のない税金の使い方”、あるいは ”納めた甲斐のある税金の使われ方” といった結論になると思う。
一方、言葉は同じ【給付金】ながらも、政府与党からは上にも書いたとおり、来年の参院選でお友達企業の票を買う資金の捻出元で、【給付金】という言葉が含んでいる意味がまるっきり違う。
「せめて所得制限を」とかモタモタやっていたのは【給付金】というインパクトある単語を市中に流布させ、例によって分断を生み、すったもんだと時間稼ぎしている間に、お友達企業への資金融通ルートを確保して、話をそちらへ引き寄せていく段取りをやっていたと解釈しても問題ないように思う。
しかし、政治家にそんな頭脳があるとは、個人的には思えない。
大体、国民の懐に金が入るのが親の仇より憎い財務省が、わざわざ大規模予算をかけてまで無駄な事務費を生む給付を見過ごすとは考えづらい。
クーポン話に至るまでのプロセスのどこかに関与しているとは思うが・・
やはり、「全体の奉仕者」たちがゴリ押ししてくるフレーズというものは眉唾だ。
親しみやすく、口当たりが良いほど、一般民間人は官側が仕込んだ「もう一つの意味」を警戒するとともに、「こちら側の利益とは何か」を問い続けなければならないようだ。
(続く)