【感情会計】善意と悪意のバランスシート

善と悪の差し引き感情=幸福度

シロウトの国債4(運用を失敗したからもっと金を出せと?大丈夫かキミ・・)

借金は「貸借対照表」を併用して考える。

会計のプロが、一般人より一枚も二枚も上手な「運用者」たる所以は、そのへんにあるのだろう。

 

貸方に計上される額だけを強調して「破綻だ!」だの「タイタニック沈没だ!」だのと大げさに騒ぐのは、まったくの素人の所業だと思う。

 

たしかに、民間の事業者なら目先の資金繰りのために融資を受けることは普通にあり得る。

そして、そのときは破綻の恐怖に怯え、パニックになることもあるだろう。

 

しかし官僚は稼がなくても倒産せず、路頭に迷うこともない。

そんな安全な立ち位置にいながら、無責任に不安をあおるなどプロの風上にも置けない。

 

その道のプロならば、借方に計上される、借金と同額の『資産』に着目すべきだ。

得られた資産を『いかに的確に運用するか』に心血を注ぐべきで、それこそが職能だろう。

 

そして、それができていないのなら、むしろ自分たちこそ責任を問われるべきで、【全体の奉仕者】である公務員なら、まずは国民に対する反省の弁が出てこないとおかしい。

f:id:db469buncho:20211231052251p:plain

税金を納めただけで運用には直接携わることができない国民に対し、謝るどころか
「ホラ、こんなに大変なんだ!だからもっと金を出せ!」
とばかりに不安を煽るのは、国家財政のプロである者としては、責任から逃げているというに等しい。

給料を取る資格など皆無である。

 

エリートは狼狽すると子供じみたヒステリーを起こすらしい

一般会計収支にヒステリーを起こして、よりによって国民のせいであるかのように騒ぎ立てる様子は、例えていえば小学生くらいの子供の姿に似ている。

 

自分の未熟さが引き起こした事態を
「ほらー!こんなになっちゃったぁー!」
と自らの至らなさを棚に上げて、あたかも自然現象か他人の所作のように示してみせる。

 

あげくの果てには
「さぁどうするー?」「これどうするつもりぃー?」
と、”この責任を取るのは相手のほうだ” とばかりに我が物顔で問い詰める無責任。

 

上の画像でいえば、図体がデカい(立場や責任権限が上位にある)者が、本来なら報恩・保護または施しをすべき対象に、一方的に償いや謝罪を求める子供じみた行為を示している。

 

そして、”子供じみた行為” は、責任というものに対する認識力が未発達な子供だからこそ許される

 

国民が供出した税金の運用をトチッた公僕が国民を責めるなんて、とんでもない話だ

 

 

「国債を返せないから増税」という理屈こそ破綻している


国民が供出した国の資金の運用者たる官僚・政治家。

 

彼らが自分たちの運用成果を審らかにし、その存在意義を国民に認めてもらうべきところなのに、運用成績のまずさにヒステリックになる姿は、過去の何事かを彷彿とさせる。

 

昭和初期に官僚化して国家を滅ぼした一部の高級軍人……

どうやらあの醜態は相変わらず官僚に残ったまま、令和3年も終わろうとする現在も継承されているようだ。

 

今もなお、多くの日本人の生命と財産を喪失させる施策を図り、国民の絶望や失意を生産する行為をやめようとしない。

 

「借金」ではなく、公僕たちが託された『資金』と考えるべき

あえて誤解を恐れず、税金を「資本金」と置き換えて一般企業に例えてみる

 

設立した時の会社は、払い込まれた資本金と、同額の資産で構成されている。

借方にある資産がすべて現金だとしたら、それを上手に運用して売上を作り、業績を残すのが事業者の目指す姿だ。当然に、能力はそこで判断される。

f:id:db469buncho:20211231061936p:plain

 

この時に指標の一つになるのが【資本回転率】

売上高を総資産で除したパーセンテージだ。

 

供出されたのが「資本金」だった場合

仮に資本金が100万円の会社を起業し、初月に売上高120万円を達成したら、最初のひと月では1回転で20万円を生み出す効率で運用したことになる。

 

投資家などの評価という観点で捉えると「この経営者は、ひと月120%の効率で事業を回した」となり、業界ベンチマークとの比較や、将来性の判断指標に使うことができる。

 

能力のない経営者と見なされれば投資対象から外されることがあり、逆に高評価が得られれば資金の融通面などでも有利な条件に恵まれ、より発展する機会も得やすくなる。

 

供出されたのが「借入金」だった場合

これは「自己資本」と呼ばれる純粋な資本だけでなく「他人資本」と呼ばれる借り入れによる資金調達でも、基本的には同じだ。

 

借りた資金からどれだけの成果を生み出せるかにより「生きた借金」だったのか、それとも「無駄の多い借金」だったかの評価は分かれてしまう。

 

ここでも税金を資本金に置き換える設定を踏襲し、仮に社債(国債)を発行したとする。

社債は貸借対照表では負債の部に属する。

f:id:db469buncho:20211231174613p:plain

 

短絡的な言い方になるが、社債を発行して得られた成果が、発行費用や償還費、あるいは利息など一連の経費を上回っているなら「経営者はペイした」ということになるが、成果が費用を下回ったら「ペイに失敗した」ということになる。

 

財政破綻危機の責任は、どう考えても直接運用に携わっている官僚と政治家にある

貸借対照表の貸方(負債・資本)に計上した分だけ借方に発生した資産を、いかにうまく使いまわすかによって、使い手(経営陣)の手腕が問われる。

 

会社法でいう「役員」と「使用人」の違いの一つとして、役員には「貸方に発生させた勘定の代償に得た ”資産” の回転率」がシビアに判断されるということがあると思う。

 

これがいわゆる『戦略』であり、決められたことを繰り返し行う『戦術』を担当する使用人には、そこまでの責任は問われないし、そもそも任されていない

 

減税の規模は『官僚の優秀さ』に比例する

前回記事にも書いたが、借り入れて得た資金を動産で持つか不動産で持つかといった違いはあるが、いずれにしてもれっきとした資産だ。

 

借金を「マイナス」で捉えるから観念論に流れやすくなるのだが、それはあくまでも素人の感覚であり、財務官僚が会計のプロならば、資産を効果的に使いこなすことを真っ先に指向すべきである。

blog.dbmschool.net

元手が100万円でも、資本回転率で150%の成果を上げ得るならば、元手が67万円程度で100万円の成果を出せる計算になる。

 

歳出は3割ほど減らしても成果は及第点。その分だけ税収が減ってもよい。

 

官僚は ”贅沢のための可処分所得” と、”死なずに済むための可処分所得” の分別ができない

現在は中間層以下の可処分所得の増加が急務だ。

単なる経済効果というだけでなく、コロナ禍で急増した困窮者の命を救うことに直結してしまっているからだ。

 

そして、上の計算に従えば、官僚が優秀なら増税などしなくとも財源は確保できる。

 

事業の成果は資金運用者たる官僚の能力に依存するから、予定事業を回すお金と、直接国民に配るお金を合わせて歳出計画を図っても、そこでわざわざ税金を余分に取らなくてもよい。

 

それこそ遊興やらギャンブルみたいな、ろくでもない使い方さえしなければ、必ず形を変えた資産として、借り入れたなりの成果を上げ得る。

 

運用者たちはその成果をつぶさに報告し、供出者たる国民も納得することと思う。

 

クーポン化の事務費900億円超とか、議員一人当たりに毎月支給される文通費100万円などが国民の指弾を浴びた。

 

しかしあれが、下賤な遊興やギャンブルとは違って、投資しただけのリターンを国民にもたらす運用ができるならば話は違う。

 

そんな支出だったのなら、たとえワニの口が開いたとしても、私は納得するのだが・・

(続く)