「将来の世代に負担を先送りしてはならない」
これを錦の御旗として「全体の奉仕者」である公務員(官僚と政治家)が増税や控除削減(廃止)を繰り返す。
身を切るのはなぜか一般国民。
特にコロナ禍ではえげつない搾取状態になる。
逆進性のある税負担では特に低所得者層に深刻なダメージを与えている。
身を切るというよりも生命の危険にさらされる弱者が続出しているのに、税収増や控除削減などが虎視眈々と仕組まれ、中間層の下のほうから順に弱者に転落する危険も増大している。
私は経験上、官庁会計と企業会計の双方を取り扱ってきた。
これまでの記事では、いわゆる複式簿記をベースに官庁のキャッシュの動きを述べているが、国家の場合は資本の部に相当する概念や科目がなかなか設定しづらい。
特定の事象(〇〇債など)にフォーカスするので、どうしても戦術レベルの話になってしまうのが難点だ。
混乱するので、ここらでザックリまとめてみようと思う。
公務員(議員、首長を含む)は「全体の奉仕者」⇒サービス業の人
『国の借金』と我々が教わってきた国債。
しかし、財政法第四条で ” 公債 ” と ” 借入金 ” は明確に区別されている。
公債は「債務」だ。
債務とは「特定の人に特定の行為や給付を提供しなくてはならない義務」で、国家が行う壮大な『債務履行』を担うのが、公務員。
公務員とは ”役人” のことだけかというと、そうではない。
人事院の年次報告書では、国会議員や地方公共団体の長なども公務員に含むと述べられている。
https://www.jinji.go.jp/hakusho/h17/jine200602_1_004.html
つまり、日本国憲法第十五条第二項「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」は、国会議員や地方議員、そして知事や市長・区長のことも指した規定だ。
ということで「議員を含む公務員とは ”奉仕(service)” を生業にする、いわゆる『サービス業の人たち』である」と説明したのが下の記事だ。
国債とは国の債務であるため、”債務履行”も公務員の仕事だ。
その意味も込みで国民全体に奉仕する職業に就いた人が公務員だ。
議員や首長は「選挙」、官公庁職員は「採用試験」と、セレクション方法は違えども、職業としてはひとくくりに【公務員】ということになる。
民間人に接する機会が多い警察官や教職、技術系や役所の窓口職員だけが「サービス業的な公務員」ではない。
霞が関の奥の院におさまっている高級官僚たちも、ひとしく『サービス業の人』だ。
「負債の部」で稼ごうと考えるのは官僚ぐらいだ
永続企業にとって、貸借対照表の負債の部がゼロということはまずありえない。
いくばくかの金額が計上されているのは当然のことだ。
そして、それが借入金なら返済するし、買掛金や前受金ならば製品やサービスを提供する。
特定の債権者に対し、特定の行為によって債務履行する。
その企業で働く経営陣や従業員にとっては、負債が発生したのが自分の入社前だろうが後だろうが関係ない。
とにかく自分たちの仕事をして、借金なら債権者に返し、債務なら約束事を履行するだけである。
間違っても「将来の新入社員にこのツケを回さないために、これ以上負債を増やしてはならない!」のようなピントのずれたことは言わない。
事業を行うには、債権者(製品やサービスの提供相手)が存在し続けてくれなくては、その事業の存続はあり得ない。
既存の債権者たちとよき関係性を保ちつつ、新たな債権者もせっせと増やしたほうが繁栄する。
たとえ負債が増えても、それで付加価値を伴った資産が作り出せれば純利益が資本の部を押し上げる。
それで財政状態は健全化する。
財務官僚は回収能力がない
負債の部の計上額だけを見て大騒ぎし「早急に金を手に入れなければ」とあくせくするのは、相当に質の悪い思考法だ。
そして、品質の悪いサービスを、質の悪い宣伝を使って強制的に押し付け、高い金を取り始めるような経営は、普通は「悪徳商法」と呼ばれる。
被害者の数や、その陰惨さにより「犯罪組織」と呼ばれることすらあるだろう。
財政状態の健全化を過剰にぶち上げた結果、拝金主義になって、それまでの「よき債権者」を転落させるような経営が、社会に貢献しているとは誰も思わないだろう。
単細胞収益
「すべては税収で取り戻そう」
財務省がこのように考えていることは、”歳出” に対して "税収" を持ち出すお得意の「ワニの口」からよくわかる。
https://www.mof.go.jp/zaisei/current-situation/situation-dependent.html
国債は「国の債務」だ。
繰り返すが、”債務” とは「特定の人に特定の行為や給付を提供しなくてはならない義務」だ。
公務員(公僕)が債務を背負い、その履行にあたる「特定の相手」とはもちろん国民(自治体なら『住民』)しかいない。
自身が債務履行すべき対象から金を巻き上げ、仕事を失わせて下層生活へ追い込み、将来への希望を失わせ、どんどん孤独化させていく図式が、私にはまったくわからない。
形而上と形而下がバラバラな公務員は有害無用
公僕の債務履行とは、一言でまとめるならば『国利民福』だろう。
安全に暮らせて、前向きな希望が持てて、互いに感謝し信頼し合い、自然と支えあう中で高い人間性を磨き、各々が自らの才能を開花させるという正のスパイラルの中では、自ずと活動の場での創意工夫や発明発見によって付加価値を生む「生産性」が実現されやすい。
その環境を提供するのが『公僕の債務履行』だと考える。
「そんな奇麗事が通用するものか!」
「下層民は現実を見ない!」
官僚は形而上的な理想論を見下すだろうが、それは自分たちに跳ね返ってくるのではないかと思う。
なぜなら、その形而上の理論を現実と融合させ、形而下にしつらえて世上に敷衍させるのが公務員の商売だからだ。
だいたい、採用面接ではそのキレイごとを言って入省したのではないのか?
選挙前にはキレイごとを熱弁して票をもらったのではないか?(悪党仲間は別として)
『国利民福』を経ない ”回収” を指向する短絡思考の官僚は役に立たない
個人投資ではふつう、直接的に経営内容に干渉することはできない。
しかし事業投資では
「金を出した(投資した)のだから、回収はもちろん金(収益)で行う」
という意思決定を、直接行うことが多い。
経営者の設備投資や、ビジネスオーナーの価値観は後者のものとなる。
これは民間企業の複式簿記の世界観だ。
財務官僚は複式簿記は使えないくせに、投資の回収だけは民間企業の猿真似をする。
(各省予算を差配し、「不用」などで濃厚に干渉するので事業投資的な性質を持つ)
だが、公僕がする投資のリターンは『国利民福』を経ていないと価値を生まない。
拙速な直接回収(増税や補償弱体化)を目論むのは、センスと能力を欠いた経営者、あるいはビジネスオーナーと同義である。
「早期のPB黒字化」なんていうのは、まさにそれにあたる。
回収はどん欲に
そのためには犠牲者を出しても構わない
なぜなら回収をスピーディーに、かつ過剰に実現させた分だけ、省内で出世するからだ!
闇金を想像してしまい、ゾッとする。
それを国の機関が正義ヅラ、エリートづらでやっているところが、なお恐ろしい。
「給料はあとから。まずは実力だ」というセリフはよく聞くが、「回収は(国利民福の)あとから」とは言わない財務官僚。そして資産の運用能力はまるで無いとしか言えない。最高のプロ(シロウトの真逆)のはずなのだが・・