【感情会計】善意と悪意のバランスシート

善と悪の差し引き感情=幸福度

コロナ感染後に減少した頭髪が、復活している話

以下は、私が経験した事柄ですが、感想はあくまでも個人的なものですので、そのつもりでお読みください。

 

 

適切に対処すべきは毛根とか頭皮に対してではなく、時間尺に惑わされてしまう自分自身の焦り

 

もっと前に記事にしようと考えていたのですが、感染爆発の頃にそんなものを書くと、マスコミの煽りに便乗しているかのような嫌悪感をおぼえたため、あえて触れずにいました。

 

でも、もういい頃合いかと思うので書いてみます。

 

昨年8月発症 ⇒ 「アレ?髪が伸びなくなった・・?」

 

私は昨年8月にコロナ感染しました。

まだオミクロン株が存在しない頃なので、デルタだったのかもしれません。

 

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8月10日に発症。

その少し前に髪を切りました。

 

通常だと3週間~1か月ごとに床屋に行っていたので、順当にいけば8月終わりぐらいには次のタイミングですが、とうていそんな体力がない。

 

フラフラながらも、自宅近くまでなら短時間歩けるようになったのは9月最初の頃でした。

 

じつのところ、「髪が増えてないなぁ」という、なんとなくの自覚がありつつも、気分転換も兼ねて切りに行きました。

(ちなみに、保健所の指示による待機期間はとうに過ぎている時期です。念のため)

 

髪を切り終えた感想は

「!!」

でした。

 

” サッパリした ” という表現は正しくない気がする。

「これは『減少』というほうが正確だ」

 

そういえば、「髪への影響」って、遅れてやってきてたな・・

 

役人時代に、霞が関で局の会計を担当していた時期のことです。

 

私の頭髪は、6月と12月に、髪の根元が元気に立っていた。

 

これには理由があります。

5月と11月は、局の会計が比較的平和になるため、毎日まともに家に帰れるので、明らかに体が楽なのです。

 

「体が楽」という実感はリアルタイムに得られますが、毛根で髪が生成され、それが伸びてきて分かる「髪の根元が元気」は、必ず少し遅れて実感できる。

 

つまり、これと逆のことが起きてくるのがコロナ後遺症による抜け毛など、髪にまつわるトラブルなのでしょう。

 

味覚や嗅覚異常と同じスパンで考えてはいけない

 

味覚異常や嗅覚異常は、その様子がリアルタイムでわかります。

私の場合、発症とほぼ同時にこれらを自覚しました。

発熱も同じです。

 

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目立たないからわかりづらいですが、体の衰弱を感じたときには、頭皮にも異常を来たしているはずです。

「毛根だけは別」とかはあり得ないと思う。

 

しかし、髪の伸び方に関する実感が得られるまでのスパンが、その他の体の事象とは異なるため、異常が起きた時の精神状態が違う。

 

しばらくして気づくので、「これは特別なことだ」と思ってしまう。

 

そもそも、味覚や嗅覚の異常と違って、『外見が変わる』=『他者からの印象がディスカウントされてしまう』という、強烈なインパクト(危機感)が作用する。

 

私の場合、もういい年のおっさんだから、加齢による頭髪の減少は、コロナとは無関係に覚悟しているので、そっちのストーリーに自分を乗せ換えて諦めがつく。

 

おそらく、30代以上でこの状態になった男性の多くは、私と同じような気持ちの切り替えをするのではないかと思います。

 

コロナ後遺症のうち、頭髪に関する相談の多くは女性というデータがあるそうですが、

さもありなんと思います。

 

抜け毛は、もっと遅れて顕著になるけど、慌ててはいけない

 

さて、9月最初の散髪で、すっかり頭部が寂しくなった私ですが、その後も髪が伸びてこない(伸びている実感がほとんどない)。

 

そして11月頃になると、明らかに抜け毛が目立つようになってきました。

 

これも、「急に起きた」ように見えるけれども、実際は髪の生え変わりのスパンによって、そう思わされているだけかと考えています。

 

問題は「時間尺によって狂わされている『自分の感覚』だ」、と。

 

しかし、髪の量が減るといっそう老け込んで見えてしまうし、あまり良い気はしない。

ここで焦ってしまう人の気持ちはよくわかる。

 

どちらにせよ、体全体が一挙に衰弱した状態から、元に復していないことはわかっています。

なにせ、味覚と嗅覚の異常は健在だし、軽いめまいも残っている。

 

そんな中で毛根だけが元気になっていて、そして異常が起きているなんてことは、まあ考え難い。

 

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毛根もまだ異常なのだと考えると、話は単純になります。

 

とにかく余計な負荷をかけずに、回復をサポートすればよいのだ。

・・という結論に行きつきます。

 

せっかくだから、湯シャンに変えてみるか

「湯シャンに変えよう」

私の結論はこれでした。

 

問題は毛根ではなく、他の症状とはズレた時間尺によって、ことさら異常に感じられる頭髪の状態に焦ってしまう「自分の感覚」である。

 

これこそが、もっとも対応を誤ってはならない真の敵だと考えた。

 

だから、「問題は毛根にあり」と解釈して、やたらと頭皮に薬液を振り撒いたりするのは解決にならないと思い、環境整備は頭皮や毛根に任せてやろうと、外部からの干渉を控える作戦に出ました。

 

顔面における1ミリの変化は、見た目を劇的に変えてしまう

12月に入っても、抜け毛は続きます。

見たところ健康と思われる、力のある髪がたくさん抜けている状態が、2か月くらいは続いている。

 

当然ながら、前髪の生え際は後退します。

顔面、といって差し支えない部位のため、1ミリ変わっただけでも、ルックスはかなり変わる。

 

私の場合、5ミリくらいは後退してしまったので、他人から見たら顔立ちが全く変わってしまったことでしょう。全体的に薄くなったし・・。

 

なにせ、表情筋が作るわずかな凹凸で、人に与える印象がガラッと変わる中で、我々は他人とコミュニケーションをとっている。

 

顔の面積が5ミリ分も違ったら(部分的に広くなったら)、劇的変化といえるのではないか?

 

そんなことを考えながら、湯シャンを続けました。

幸い冬だったため、汗もあまり出ないし、湯シャンにはちょうどよいタイミングだったかもしれません。

 

身体のダメージが回復したら、頭皮だって回復する

 

12月中に、味覚と嗅覚がほぼ戻ってきた実感を得ていた私は、おそらく毛根も同じ状態ではないかと考えました。

 

ここでも「時間尺の違いによる実感の狂い」が生じます。

 

「他の感覚が戻ったというのに、やっぱり髪は・・」という焦りを感じる人は多いのではないでしょうか。

 

私はおっさんゆえの諦観の境地にあったせいか「頭寒い(さみぃ)な」くらいで、どちらにせよ湯シャンの影響で、髪は増えないにしても頭皮環境は改善する、と確信していました。

 

若い頃の「6月と12月に、髪の根元が立つ」という事象を思い起こしつつ、時間の経過を待った・・。

 

予想どおり、復活は遅れてやってきた

そして案の定、1月に入るとしばらくぶりに「髪、ジャマだ」と思うほどになった。

 

首筋から髪をかき上げると、不快なほど髪が逆立って手の動きを妨げる。

いつもの調子に戻っている。

寒いからトップは切りたくないけれど、横と後ろはすぐにでも切りたい。

 

満を持して床屋へ行き、思い切り梳いてもらい、久しぶりに散髪でサッパリした。

そして2週間後には、またジャマなボリュームの兆しを感じ、そこから1週ほど耐えた後、また切りに行く。

 

では、前頭部はどうなったか?

 

しばらく前までは、額から頭頂部にかけて指先を滑らせても、永遠に髪が当たらないのではと思っていた荒涼たる生え際・・・だったが・・

 

ここにもようやく復活の兆しが表れ、今までは無の地帯だったあたりで、指先と髪が出会えるようになっている。

 

やはりこれもコロナによる影響が出ていたのだなと感じられるようになってきました。

 

やはり、全身が衰弱してしまった状態で「毛根だけ無事」はあり得ない。

 

だから、体調が悪くなったのなら、その後頭髪に異常が感じられることは、「逆に異常じゃない」

 

慌てることはないし、どうしても見栄えが気になるならウィッグでもつけて、そのうち不自然なほどボリュームが出始めたら止めればよいのでは? というのが私の個人的見解です。

(ウィッグのつけ方知らないけど・・)

 

やっぱり、衰弱した時に最も気を入れてケアすべきは『全身』なのでしょうね。

そう思いました。