柘植久慶さんをご存じの方に出会ったことが無いのですが、もし居たら結構変わりものかもしれません。
私は、三国志関連の書籍で知りました(たぶん)。
図書館で検索して、めぼしい本をまとめて借りた中の一冊に、柘植さんの著作がありました。
三国志の解説本は、たいていつまらない(というか食傷してしまう)
三国志の解説についてはたくさんの著者がいるので、大体どれを読んでも似たり寄ったりの話が多くなる傾向があります。
『三顧の礼』とか『髀肉の嘆』、『呉下の阿蒙』、『空城の計』なんかは見飽きてしまうほど目にしたし、書き方にオリジナリティも感じられない。
そんな中で一線を画していたのが柘植さんで、この方は傭兵として戦場で戦った経験を持ちます。
昭和30年代の、日本人が外国へ行くことが珍しかった時代に、大学の夏季休暇で訪れた欧州でスカウト(!)を受けて戦場へ出、その後は商社マンや経営者などを経て文筆活動に入った方です。
この人が書く戦いの解説本や小説は、当然ながら「取材」といってもレベルが違う。
当時の戦場を実地に踏査するだけでなく、植生の特徴や季節変化までを想定し、戦闘時の天候や時刻による環境の遷移を具体的に語り、兵士がどのタイミングで食事や休憩を取るのがベストかなど、リアルさが抜群で他の著者にない魅力があります。
現在読んでいるのは、”戦場もの” と ”ビジネスもの” の中間みたいな【「戦場」から学ぶ仕事術】です。
「戦場」から学ぶ仕事術-クビを切られない「戦う男」の鉄則 (講談社+α文庫)
「司馬史観」を崩壊させる『実戦の柘植』
この本の中で、日露戦争の旅順攻略の話が出てきます。
柘植さんは、二〇三高地を攻略した後の戦闘を『蛇足』と切り捨てています。
司馬遼太郎さんの【坂の上の雲】をご存じの方なら、たいていは「いや、二〇三高地を獲る前の戦闘が『ムダ』だったでしょ!」と感じるかと思います。
私もそうでした。
しかし柘植さんは二〇三高地を奪取してから旅順陥落までの戦闘のことを、明快に「蛇足を絵に描いたような攻撃の続行」と言い放つ。
いくら調べても、日本人にはわからない「戦場の理」
他の作者の主張なら、おそらく私の中では ”司馬史観” が勝ってしまい、
「文句つける場所が違うだろ。奇をてらうな」
と否定するかもしれない。
けれど、柘植さんが言うと、そこで「ン?」と一考してしまう説得力がある。
そして、一考するとすぐわかるけれど、答えはとっくの昔に【坂の上の雲】の中で知っていることです。
総司令部参謀のトップである児玉源太郎の計画になかった旅順攻略が、なぜ行われたか?
それは、旅順艦隊を全滅させなければならない海軍からの要請で、要塞内に引っ込んでしまった艦隊は、陸からじゃないと破壊できないからです。
「ドラマ」に負けていた「現実的な目的」
旅順艦隊の存在を消滅させなければ陸軍の補給が不可能な日本にとって、制海権の確保は必須条件です。
つまり「旅順艦隊を全滅させれば、目的は達成される」ということで、それは二〇三高地を攻略した時点で達成されたとみてよい。
この高地を獲ったことで、港内はその姿を日本軍の照準にさらしたわけで、乃木大将の第三軍は役目を終えている。
旅順を完全攻略した乃木軍が、北上して本軍に合流したのは黒溝台会戦の末期で、日本軍の大ピンチだったときです。
もしも二〇三高地を獲った時点ですぐさま転進すれば、最初から乃木軍を擁した状態で露軍を迎え撃つことができ、あれほどの危機に陥ることはなかったでしょう。
二〇三高地奪取後に、さらに1万の兵力を失った「旅順完全攻略/開城」は、消耗もさることながら、それ以上に黒溝台会戦を苦境に陥れた乃木軍合流の遅延が大きかった。
パラダイムシフトを起こさせてくれる現実家
柘植さんは、司馬さんによって一般大衆に広く浸透した「旅順は二〇三高地攻略までがダメな戦いだった」という価値観を変えさせてくれました。
「攻城は守備側の3倍の兵力が必要」とされる中、定説よりもかなり少ない被害で ”目的を達成” した乃木軍のことを、柘植さんは高く評価し、残敵掃討ともいえるその後の戦いこそムダでダメな戦い方としています。
乃木軍が早々に北進を始めても、ステッセルが追ってきて戦闘の火ぶたを切るとは考えづらいし、もしそれを警戒するなら、二〇三高地の重砲隊を残して旅順市街への砲撃だけは継続し、足止めしておけばよい。
乃木軍の北進は考えられない速さで行われたようなので、少し距離を稼げれば、露軍は決して追い付けなかったと思う。
旅順要塞がまだ機能する状態だったら、バルチック艦隊がやってきたとき、旅順を拠点にするかもしれないという意見もあるかもしれないが、バルチック艦隊の来航は半年以上先のことであり、日本が企図する奉天回戦はそれ以前のことだから、乃木軍合流はやっぱり「旅順完全勝利」なんかより遥かに重要だったと思われます。
これらのことから鑑みるに、言われてみればたしかに、あれは点数稼ぎの戦いだったのかもしれません。