私は若い頃から視力が良くて、ずっと裸眼で通していたため、眼鏡にはとんと縁のない生活でした。
それでもここ数年、ようやくにして眼鏡が必要になってきた模様。
しかし、装飾品の類を身に着けるのが嫌いで、腕時計さえしない私にとって、よりにもよって顔に付ける異物が肌に合うはずがない。
3年前に作った初の遠近両用メガネ、、、
かけ始めて3か月程度で気持ちの悪さ、頭痛、眼痛(?)が発症……
その後は裸眼で過ごしていたのですが、それもどうやら限界らしい。
( ˘•_•˘ )みえん……いや、見えん。。
眼科へ行っても眼病の類ではないので、結局は視力の衰えを補う以外にないようです。
「メガネは眼科で作るより、眼鏡鑑定士のいる店で作ったほうが良い」
最初にメガネを作る前に、ネットで色々調べたところ、こんな意見を見つけました。
「眼科で作ったほうが安心感があるかもしれないが、メガネの専門家【眼鏡鑑定士】に作ってもらうほうが確実」
その情報を得ていた私は、3年ほど前に近隣の店舗を物色し、その条件で店を決めています。
そして今回も3年前と同じ店で、2度目の遠近両用メガネを作ることにしました。
加齢と乱視対策
店主に話を聞くと、乱視というのは年と共にその出かたが顕著になるそうです。
どうも「酷くなる」というか「出かたが顕著になる」というのが正確な表現らしい。
若い頃は目の筋肉に張りも力もある。
だから、たとえ乱視のゆがみがあっても、突っ張って真ん丸(正視)の状態を保てる。
ゆえに、乱視による視界の不都合は、ふつうはあまり強く発生しない。
だから子供の頃の視力検査では、乱視検査はしない……ということのようです。
たしかに私も子供のころには近視の検査しか受けたことがありません。
あとは色覚検査くらいです。
やがて年齢と共に眼球を引っ張る筋力が弱まる。
すると強めな乱視持ちの人は、本来の歪んだ眼の姿(フォルム)が顕わになり、封印されていたその力を如何なく発揮するようになる…
店主の話を聞く私の頭の中では、そのようなストーリーが展開されました。
マッサージや薬で解消しない症状の原因になるのでは?という疑念
乱視で目が疲れやすいのはもちろん、それが高じて頭痛や肩こりなども起こるでしょう。
その他にも背中の痛みや不快感、姿勢の乱れによる内臓不調や腰の痛みなど、様々な症状の要因になっていそうな気がします。
いわゆる不定愁訴の裏には、「老化による乱視の覚醒」があるのではと思いたくなります。
すると、コリや痛み、内臓不調や気鬱な症状に対し、マッサージや薬物の服用をやっても明らかに解決にならない原因があることになる。
もともと薬の類を飲まない私は、物理でどうにかできるものは極力その路線で対処したいタイプです(目薬も使っていない)。
ということで、今回はメガネ作りに本腰を入れてみたいと考えたのでした。
最大矯正値をシビアに測定する
メガネ慣れしていない私が、いきなりフル矯正したレンズでメガネを作ると、かえって視界がグネグネしてしまう。
不快だし、危険でもあります。
そこで、無理のない程度に矯正値を下げて、かけていられる程度の視界を作る工程が必要になる。
ここで最も重要なのが「最大矯正値を正しく測る」ということらしい。
ある程度下げて、そこから微調整に入る際に、元の計測値が曖昧では、目指すところが明確に規定できない。
眼鏡鑑定士の価値は、ここにこそある
私が行った店の店主の方は、そこにこだわりを持つ人で、3段階に分けて乱視の測定とレンズの調整をしてくれました。
入店から退店までおよそ4時間、ずっとその作業に明け暮れていました。
いくら「眼鏡鑑定士」とはいえ、たった一人の客に、そこまでする人は珍しいのかもしれません。
しかし、利用側としては正にそこを重要視して店選びをすべきなのでしょう。
店主曰く、乱視の度合いを見るにあたり、機械による外側からの計測値だけで「あなたの乱視度は〇〇です」と言われても、それはあくまでも参考値なので、メガネを作るときの決め手にはならないと言います。
また、矯正による歪み補正の「感じ方」も無視できない要因で、これには個人差が大きいため、第三者が安易に正解を出して押し付けられる筋合いのものではないとも言います。
舐めていたな…目の矯正のこと、と思い知った
結局のところ、私のようなメガネ慣れしていない人だけでなく、慣れた人がメガネを作り直す際でも、最大矯正値の測定は重要なことで、測り方が甘いと度の調整が不十分になる。
その結果、目を開けている間ずっと視覚情報を取り入れて調整し続ける脳に、酷使を強いるメガネを、決して安くない価格で購入する羽目になる。
合わないメガネを「合っている」と信じ、気づかぬうちに目に負担をかけ続けると、先ほど書いたような不定愁訴の元になってしまうことも考えられる。
・・と、メガネ経験が浅く、軽く考えていた私にとっては、思わぬ現実と直面することになったわけでありました。
「年齢による衰え」にプラス補正をかける前に・・
たとえば私の場合、右目の乱視が強く、左に比べると圧倒的に視力が弱い。
頭で認識している景色は、ほぼ左目からの情報、という状態です。
なのに、”利き目” は右。
これだと、左利き用に作られている道具類に囲まれて、それに気づかずに右手で操作し続けているようなものではないかと思われます。
私は、加齢とともに『視界全体』がこの状況に追い込まれている。
なんだか、疲れやすいのも当然、といった気にもなる。
むしろ、疲れているのが自然でしょう。
となると、実体上の「年齢による衰え」はそれほどでなくても、気持ちの上でプラス補正をかけてしまい、精神衛生上で多大な損をしているかもしれない、と。
こと『視力』においては目を開けているあいだ中その影響が継続するため、乱視というやつは、それ単体で取り組み、対抗措置を講じるべきものではないかと思いました。
以上【メガネシロウト】による考察であります。