【感情会計】善意と悪意のバランスシート

善と悪の差し引き感情=幸福度

「消極的支持」を絶対しない理由

国政/地方の別を問わず、ここからの選挙という選挙はすべて「増税選挙」

自民・公明に入れたら、有無を言わさず「増税賛成」を意味する。

 

「いや、自民の中にも増税に否定的な議員がいる」

「そうそう、積極財政派の議員だって何人もいる」

 

そうかも知れないが「自民党に力を与える存在」というだけで、その議員は増税賛成の力になっている。


そんなつもりじゃないというなら離党しなければならないほど、自民=増税の力が暴走している。

 

自民党の中で頑張っている議員の情報も目にするが、トップ(の方にいる影響者ら全員)の考えが変わらない以上、それは「自民党はこんなにやってます」という『やってる感の演出』でしかない。

 

つまり、離れかねない支持層やシンパたちを引き止めるための装飾物みたいな存在で、結局は増税翼賛会の一員として国民をぬか喜びさせつつ、その実態は国民の首を絞める存在だ。むしろタチが悪い。

 

「有名だから間違いないだろう」「名前を知ってるから、なんとなく『私と合う』ってことだと思う」←そんなワケあるか!

表面的な印象で投票先を決めるのはかなり拙い話。


だから、少し詳しく発言内容などを見て「この人を応援したい」と思えたなら、かなりマシな話。

 

でも今は、選挙においてはシビアな価値判断が必要な経済状況になっている。

 

応援したい議員が、その応援に値するだけの結果を出すまで待っている間に、こちらの息の根が止まってしまうようなら、それは次の選挙で投票すべき相手ではない。

 

もちろん、その所属政党も同じだ。

 

それくらい短いスパンで判断しなければならなくなった人が、相当数発生している。


例を挙げれば、電気代値上げに悲鳴を上げる人たちの声などからも、露骨に見えてきている。
(ちなみに、私はむしろガス代の値上げに驚いた)

 

応援したい自民党議員も、たしかにいることはいる


私は、果敢に財務省・日銀へ切り込む西田昌司議員や、公明党への決別宣言発言で俄然注目し、消費生活問題で切れの良い議論を展開する小野田紀美議員の活動自体は良いと思っているが、自民党である以上支持はできない。

 

「あの人達があそこまで強く切り込んでいけるのは、何と言っても自民党の看板を背負っているからで、やはり与党の中にああいった人たちがいてもらわないと・・」

 

という意見は大変ご尤もで、私も公務員時代からずっとその考えだ。


ただし、それは今とは比較にならない平和な時代の牧歌的思想と言わねばならない状況になっている。

 

「では、西田議員や小野田議員が自民党を離れてしまったら、一体誰が政権(与党議員や官僚たち)に『モノを申せる』のか?」

 

私の答えはこうだ。

 

自民党が極小化しても、西田さんや小野田さんは極小化しない。


いやむしろ自民党の極小化によって、存在感を増すかもしれない。

本来、国家が担うべき政務を担当できる能力の保持者であればあるほど、その議員が際立つからだ。

 

だから、いったん自民党を蹴散らしてしまえば良い。

 

私の感情込みで言わせてもらえば、こと『自民党』に関するものはすべて、物体の分子構造まで壊れてしまえというほど異次元の破壊を・・いや、次元の異なる破壊をしたほうがよい。

 

そして、その状態で選挙をしてみればわかるはずだが、私は西田さんも小野田さんも絶対に当選すると思う。

 

そのくらいの評価なのだが、今はだめだ。

あの人達が自民党に属しているからだ。

いま応援すると自民党に力をつけてしまう。

これは切実な問題だと思う。

 

トイレを借りに投票所へ入ったような感覚の「消極的支持」

自公(または自公と協力関係にある候補者)に票を入れるのは自殺行為。

 

「他にいい候補者が居ないから自民」

 

まだやるのかそれ?

居ないならだれも選ぶな、と言いたい。

 

自公とその仲間みたいな候補者しかいない場合は「該当者なし」と意思表示して投票所を去ればよい。

 

いっとくが投票所は定食屋じゃない。
コンビニのトイレでもない。

 

「入っちゃったから何か注文しなきゃ(買わなきゃ)」じゃない。


欲しいものがないのなら「ここ(この選挙区)には欲しいもの(候補者)がないぞ!」とクレームをつけて(該当者なしの意思表示をして)帰ってくるべきだ。

 

欲しくもない水(自民党)を買うから、カネを失うのだ。

そして、選挙にいかないのは当然、論外だ。公明党くらいあり得ない。