ちょっと目を引かれた話題にふれてみましょう
1個目:政務官人事
柘植久慶さんの著書で知った言葉『ポツダム少尉』
ポツダム宣言受諾後、8月15日の終戦から日本軍が継続していた11月末日までの間に、少尉に任官した人のことを言うようです。
当然、この間に戦闘行為はなく、軍務に就いて実績を上げることはないはずですが、とにかく「士官」になれたという実績は積めたわけです。
どうやら、後々の待遇に影響があったようで、そのことは柘植さんが勤めた会社の「軍人閥」にも如実に顕われていたとのこと。
働きがないのにドサクサに紛れて地位を上げた人間に対し、そのことを揶揄する言葉のようです。
今日たくさん見ましたが、要はこの報道を見たときに、反射的に頭に浮かんでしまったのが『ポツダム少尉』という言葉です。
自民党の純然たる人財払底なのか、はたまた泥船に乗るハメになる立場に喰いつくダボハゼみたいな人がいなくて、最終的にこのレベルの階層まで打診が行ったのかはわからないけれど、没落内閣の悲哀みたいなものすら感じる。
2個目:兵庫県
「石丸信者」という言葉がどんな人を指しているのか、いまいちわかっていなかったのですが、どうやら私の考えとはニュアンスが違うのではないかと、近頃やっと理解できたような気がします。
都知事選の途中から、膨大な量がネットに拡散された石丸氏のショート動画で熱に浮かされ、ノリで賛同した熱狂者がそれにあたるのではないかと。
私が石丸氏の存在を知ったのは都知事選よりもずっと前で、安芸高田市長在任時に行われた記者会見での強烈な不協和音が気になり、それをきっかけに特番や議会動画等を視聴するようになりました。
執行部の実務の様子までを想像するゆとりがあったせいか、熱狂とは程遠かったため、俄かに湧いた ”信者” なんて呼ばれる存在のことは、正直あまり眼中になかった。
しかし、あのやり方をすれば「俄か信者の勢い」で、世相を動かすことができるのだなと実感しました。
以前私が記事⇩⇩⇩にした石丸氏の ”劇場型の効果” とはそういう意味ではなかったのだけれど・・
それと同様・・というわけではないかもしれないけれど、急に信者化したと思われる応援団が湧いてきた斎藤元知事。
私が好んで見ていた時事系ユーチューバーのうち何人もの人たちが、それまでの斎藤批判を引っ込めて、謝罪してまで斎藤擁護を始めたことに驚きました。
当初からのスタンスを崩していないのは、私が知るかぎりこの二人
今や、私が知るかぎりマイノリティになってしまった存在です。
私は東京住まいのため埒外のことであり、遠目で見ているしかないのですが、その立場から見ると、立花孝志の存在によって、私なりの結論が出た気がする。
彼が「斎藤さんが虐められているのを見ていられなかった」といった意味の、いわば義侠心の発露を見せたときだ。
「立花孝志という人が義侠心で動く」というのは「乗数がゼロ」を意味するのが、これまでのことどもを総合して得られる公式のようなもので、それ以降はどんな要素が加わっても値はゼロで、私が当初感じた斎藤元知事の印象は、彼が動いたことで逆に不動のものとなってしまった。
彼が動き出す前から「斎藤氏による既得権益への切り込み」は話題だったし、盛り上がる兆しは充分にあった。私もこれは興味深い情報だなとは思っていた。
もしも立花氏の言い分が、「衆院選で目立てなかったから兵庫で何かやったろうと思ってやってきました」だとしたら、私も彼に振り回されていたかもしれないけれど・・
実際のところがどうなのかはわからないけれど、事態の混乱を警戒してか、市長会の多くの人たちが対立候補を支持しだしたり、とにかく混沌としています。
仮に斎藤知事復権となっても、はたまた稲村知事誕生となっても、本当の答えは選挙結果でなくその後の県庁職員の働きやすさや円滑な議会運営・・つまりは県政という結果で証明されるはずなので、ここは注視したいところです。