Yahooニュースの中に時々表示される「歴史物記事」
ガッカリする内容も多いのですが、ときどき興味深いものがあります。
今回のこれは、純然たる「歴史モノ」ではありません。
しかし、端的にまとまっていて切れ味が良く、何かと批判の多い ”史家・司馬遼太郎” ではなくあくまでも ”作家・司馬遼太郎” の力量を賛美するスタイル。
それゆえに嫌悪感を感じさせない文章運びで、それでいてしっかりと司馬作品の読みづらさにも言及している点に惹かれました。
一切記憶に残らない知識でも「読書」は「読書」
膨大な資料探求をバックボーンにした司馬作品は、厚みはあるが調べた知識の開陳が多く、その脱線で本筋が薄れることが多い。
比較的資料の多い近代作ではその度合いが激しい。
『翔ぶが如く』なんかはツラかったなぁ・・
「早く始まれよ西南戦争」と、途中からはずっとそればかり考えながら読んでいた。
『項羽と劉邦』をべた褒めの白蔵盈太さんに共感する
この白蔵盈太さんの論述では『項羽と劉邦』について書かれていますが、古代中国の時代ゆえに資料が少なく、それに比例して司馬さんお得意の豆知識の絶対量も少ないとのご指摘です。
私も同感で、多少の群像劇感はあるものの、それらは必須情報であるだけでなく、本筋の流れを堰き止めてしまうレベルの突出具合でもない。
そのため、わりと自然に本筋へ回帰でき、かつそれらは物語のスケールを大きく、そして盛り上げるのに貢献する内容で、すべてが巧妙につながっているのも魅力でした。
たしか、下巻のさいごの司馬さんのあとがきで、項羽が命を落としたときから70年(140年だったかな?)後くらいにこの「歴史的大事件」を取材していた司馬遷への想いなどが記されていますが、まさに司馬遼太郎さんはこの司馬遷にあやかりたかっただろうなと想像できます。
「司馬遷に遼かに及ばない」から「司馬遼太郎」というペンネームだったはずですね、司馬さんって。
情報の少なさが司馬さんの「キャラ活かし」を際立たせる
白蔵盈太さんは、資料の少なさゆえに司馬さんの創造性が遺憾なく発揮され、特に人物の描き方に表れていて、今風に言うと「キャラが立っている」と絶賛されています。
そうなのです。
メチャクチャにキャラ立ちしていて引き込まれる。
張良、韓信、陳平、蕭何など、劉邦陣営を彩った豪華メンバーの描き方など、ヘタな歴史解説ノンフィクションなどよりも遥かに説得力があり、「歴史の故事を学ぶ」という目的であるならば、司馬さんの本のほうが記憶への定着力が強い。
日常レベルの知識や教養程度ならそれで充分でしょう。
というわけで、なんとなく伏線を張っておいて、『項羽と劉邦』の中で魅力を感じるシーンについて、別の機会に書いてみようと思っています。
(白蔵盈太さんに触発されてしまった)