ひさかたぶりに『播磨灘物語』を読み返しています。
黒田官兵衛が主人公の、全4巻の文庫本です。
官兵衛がはじめて織田信長に謁見するシーンが読みたかったので、とりあえず第1巻は飛ばして2巻目を手掛けました。
ブログで司馬作品をほじくり返すようになってから、これまでよりもアンテナを張って読み進めるようになり、今まで以上に楽しめるという、思わぬ副産物に喜んでいます。
- 『播磨灘物語第2巻』は別名『掃き溜めに鶴物語』
- 「暗愚な家臣」になりきって考えてみよう
- 「跪いて許しを請う相手は毛利のほうが良いから、織田につきましょう」という離れ業・・かな?
- 斜め上のプレゼン力を持っていたと思わせる官兵衛
『播磨灘物語第2巻』は別名『掃き溜めに鶴物語』
第2巻といえば、官兵衛が織田信長に対し、自身(というか小寺氏)の勢力圏を含む播州へ積極的に手を入れるよう働きかけ、毛利氏との対決姿勢が隠しようもなく顕われてゆく過程が描かれます。
いったんは織田を仰ぐ姿勢を見せた播州諸勢のうち、最も大なる存在である別所氏の離反で、官兵衛が仕える小寺氏の立場が危うくなってくるスリリングな展開です。
当主・小寺藤兵衛の勢力圏は、毛利方の大名・宇喜多直家の領地と西隣で接しています。
そして東隣には、このたび毛利氏と結んで織田との対決姿勢をあらわにした別所氏が居て、ちょうど左右から小寺氏を挟む形に位置しています。
すでに官兵衛が秀吉の軍勢を姫路に迎え入れているため、小寺氏が単独で両隣の敵を迎え撃つことにはならないですが、「播州勢」として考えるならば、属すべき勢力について、改めて去就に迷うことは避け得ないでしょう。
「他人の決定」で動かざるを得ない天才の縛りプレイ
凡庸な殿様である小寺藤兵衛は、家来の官兵衛と違って時勢眼というほどのものは持ち合わせていない。
そもそも織田信長に人質すら出していない程で、一人息子を差し出している官兵衛とは織田氏に対するロイヤリティは比べ物にならないくらい低い。
そのうえ、官兵衛を悪く思う古くからの重臣たちが藤兵衛に対し、官兵衛の目を盗んではしきりに別所氏への同調をささやきかけます。
官兵衛はこの状態で、我が主人が指針をぶらさぬように説得しなければならないミッションを背負うわけです。
厳しいですね。
「暗愚な家臣」になりきって考えてみよう
「織田が有利なことは決まっているのだから」
とは、後世の我々はこの問題の ”正解” を知っているので軽々と結論を出せますが、当時は織田信長が覇権を握るなど誰も断言できないし、何の保証もない。
当時は ”信長包囲網” がピークを迎えていた頃でもあり、将軍の義昭や上杉謙信、本願寺門徒をはじめとした諸勢力が、連携しつつ四方八方から織田氏と交戦状態にあったから、いわば「最も危なっかしい時期」とも言えます。
それに、小寺氏の地理的条件から言えば、東西の隣接地に巨大な敵が出現した局面では、理性による判断よりも直接的な恐怖によって次の行動を決めてしまってもおかしくはない。
逆に官兵衛こそ、なぜこの状況に陥ってもなお織田へ随順するのか?
そう疑問を持つほうが自然な気すらする。
小寺の家に仇なす奴、とすら思われかねません。
新参者の言う事など・・
官兵衛の黒田家は、主立つ重臣たちの中では比較的最近に小寺家の家来になったにもかかわらず、祖父や父が有能であったがために早々に累進し、一番家老になりおおせていることを良く思わない家来も多い。
当然彼らは、「新参者」である黒田の者について、令和では流行(?)の ”誹謗中傷” なんかもしたかもしれない。
重臣たちの「主君囲い込みプレゼン」
あいつはなぜ、主家をわざわざ危険にさらすのか?
なぜ織田などという出来星の、危なっかしい新興勢力に加担するのか?
こんな憶測会話は、官兵衛の居ないところではあいさつ程度にかわしていたのではないかと思われます。
アイツは、織田へ逆らえば、すぐさま秀吉に殺されるから
アイツは、織田へ逆らえば、安土に差し出した一人息子が助からないから
元はといえば、どちらもアイツ自身が進んでそうしただけなのだから、アイツら父子がどうなろうが我々古参の小寺家臣にとってはどうでもよいことよ・・いや、「小寺家」にとってはむしろ、厄介払いができて良いのではないか。
やはり播州者は、土地を隔てた得体のしれぬ織田よりも、地縁もあり鎌倉以来の名家として名高い毛利に付くことこそ望ましいというのが、ある意味簡単な結論と言っても過言ではないでしょう。
暗愚が「正解」を出しているという状況証拠なら、確かにあるといえばある
たしかに、ほぼ独断で思い立ち、前のめりに織田へ随順したがための身の危険は、官兵衛の進退に影響するようになっている。
「理性でなく恐怖で物事を決定している」ということなら主人の藤兵衛よりも、城を提供して秀吉の軍団のすぐそばにわが身を晒していたり、息子を信長のもとに差し出している官兵衛のほうが余程「恐怖の感情」に近い。
それゆえにアイツは、真に小寺の家を想っての行動はしてないのかもしれない・・
なんて、官兵衛と対立する重臣たちが、藤兵衛の翻意を促すには説得力のある憶測ですね。
官兵衛、じつに厳しい。
「跪いて許しを請う相手は毛利のほうが良いから、織田につきましょう」という離れ業・・かな?
司馬さんはここで、黒田家譜の記録からちょっとした文章を拾い上げています。
『黒田家譜』とは福岡藩藩主・黒田家の公式歴史書で、官兵衛のひ孫に当たる黒田光之が、貝原益軒に命じて作らせたものと言われています。
0026968 新訂 黒田家譜 全12冊揃(全7巻11冊+索引年表) 川添昭二・校訂 文献出版 昭和57-62年
これは「司馬史観」ではなく、れっきとした文献であるらしい。
官兵衛が主人の小寺藤兵衛に対して ”織田勢力” というものを説明したときの記録で、こんなものがあるそうです。
信長は無理多く候て、荒き仕置のみに候へば、往々は乱れ候共、一先は天下を手に入れ申すべく候。アノ荒き矛先にて蹴散らされ候はば・・・当城滅亡疑ひ無し
上記の「・・・」は中略の意味だと思いますが、『播磨灘物語』の文庫本ではそのように記されています。(トークが長かったんですかね?)
司馬さんはこの引用に軽い補足をしていて、「荒き仕置」というのは「乱暴」ということではなく、遮二無二旋回してやってくるということであろうと推測しています。
「気忙しく執拗に」ということでしょうか。
選ばせたいものを「下げる」宣伝方法
この「説明」がどの時点でされたものか、小説ではそれ以上の説明がないのでわかりませんが、播州自体が比較的平和だった頃であれ、風雲急を告げる今であれ、いずれにしても官兵衛からこれを聞かされている藤兵衛にとっては「まったく安心できない相手」として信長が表現されているところが面白い。
「織田の傘下に入りましょう」と官兵衛は言いたいはずなのに、なぜマイナス面を強調するような物言いをしたのでしょうか。
旧態依然とした勢力図の中で、ただ御家を守らんとする保守傾向の強い藤兵衛に聞かせたら「よし、我が家も織田を仰ぐぞ!」とはならないように思える。
ひょっとしたら官兵衛は「大勢力に反抗して戦った末に負けるとすれば、毛利に負けたいか? それとも織田に負けたいか?」と、主人の決断を促していたのかも知れません。
人一倍頭の回る官兵衛なら、「どうすれば利があるか」という方法よりも「どうすれば失う利が少なくて済むか」という、リスクを前提にした働きかけをしていたのではないか?
保守的な藤兵衛には、むしろそのほうが響くかも知れません。
斜め上のプレゼン力を持っていたと思わせる官兵衛
不安や不確定要素などのマイナスな感情を煽るFUDマーケティングというものがあります。
保険商品のセールスなんかはそうでしょう。
他の業種でも、競合他社製品を下げて自社製品を浮かび上がらせたいときに使われる方法ですが、それらはいずれも「自社製品の素晴らしさ」を訴えんがための手段です。
ですが、『黒田家譜』で官兵衛が小寺藤兵衛にプレゼンした内容がFUDマーケティングであるとすれば、自社製品(官兵衛が推す『織田家』)の素晴らしさをアピールするものではない。逆に下げている。
相対的に浮かび上がるのは毛利家のほうです。
「中国者の律儀」をアピールして版図を広げているこの13ヶ国の大勢力は、とうぜん織田勢のアンチテーゼとして ”慈悲深さ” や ”品の良さ” を前面に出し、信用を大事にする戦略を採っています。
それならば、むしろ小寺藤兵衛が毛利氏に負けたときこそ、毛利は小寺家にとっての価値を発揮する。
官兵衛はここに目を付けて、「負ける相手」としての毛利を引き立てて、その場合の命の安堵、領地の安堵を期待できる対象と見ていたのではないかと・・
そして「毛利に負ける」ためには、敵性勢力である織田についていることが絶対条件だ、と。
官兵衛なら考えそうなことと思うのですが、同時に官兵衛以外には誰にも理解できないこととも思う。
まさかこれを、主君に説けないですしね。。
「織田についておけば、負けた播州者は ”毛利に負ける” ことになるから父祖伝来の財産は織田に負けたときよりも安全です。そして、勝ったら勝ったでそれも良しではないですか」なんていう理屈は、「勝馬に乗りたい」と考えているだけの人には到底及びもつかないでしょう。
司馬さんが唐突に引っ張り出した、この『黒田家譜』の切れっ端。
ひょっとして司馬さん、これが言いたかった?
だとしたら、あまりにも壮絶な ”うがち方” ではないでしょうか。
冒険的というか、天才的というか・・
レベル高すぎて通じないプレゼン・・やはり官兵衛は『掃き溜めの鶴』だった
残念ながらそのような判じ物めいた謎かけが藤兵衛に通じるわけもなく、仮に官兵衛の真意がそこにあったとしても献策は活かされず、最後に官兵衛は主君に裏切られてさんざんな目に遭うことになります。
もしもその場に司馬さんが居たら、小寺藤兵衛に向けて
「貴方(あん)はん、毛利に負けといたほうがお得でっせ」
と、官兵衛からは言えない本音ベースの口添えをしてくれたかもしれませんけど。。
しかし『黒田家譜』の中から、よりにもよってこの一文を探し出し『播磨灘物語』のこのシーンに差し込むのが計算ずくだったとすれば、その創作力は神懸っているとしか言いようがないのですが、その辺どうなのでしょうね?