黒田官兵衛と織田信長が初めて顔合わせした時のキーパーソンだった羽柴秀吉。
二つの小説でこのシーンを描いた司馬さんは、それぞれの作品で秀吉をどう書き分けたか?
前回、そんなテーマで記事を書きました。
ですが、『新史 太閤記』の秀吉ばかりにフォーカスして『播磨灘物語』は放ったらかしになっていたので、こちらも書いておこうと思います。
サイコパス感が強い『播磨灘物語』での織田信長
官兵衛が秀吉の取りなしで織田家へつながりを持つ設定の『新史 太閤記』。
それに対し、『播磨灘物語』での官兵衛は秀吉を素通りして直接岐阜へ赴き、信長の秘書役である武井夕庵に面会を求めます。
つまり、この段階で秀吉は一切出てこない。
それどころか官兵衛は、織田家の播州攻略を担当するのは、信長陣営の中で彼が唯一縁を持つ荒木村重になると予想している。
しかし謁見の際に、信長は官兵衛に秀吉との接触を命じ、半ば強引に彼の運命を決めてしまう。
信長の「チューニング」
官兵衛に対面したこのくだりは、信長の一辺倒な切り口上が色濃く描かれるシーンで、まさに「切るように」二人の連繋を命じるのが印象的です。
(「切るように繋ぐ」って意味的に矛盾してますが・・)
ちなみに『播磨灘物語』に登場する信長は、全体を通してサイコパスな一面が強調されているように思われます。
たとえば『新史 太閤記』だと秀吉目線なので、人間臭い一面を信長に見出す描写が多く、読んでいる我々も信長に人間味を感じる。
しかし『播磨灘物語』の信長は効率一辺倒で、人の感情を無視して計算のみの判断をしている部分ばかりが描かれるので、かなり印象が異なる。
どちらを「信長っぽい」と捉えるかは読者それぞれの感じ方ですが、信長を主人公にしていない作品だからこそ、読者にとっては『自由度の高い信長の楽しみ方』が可能なのではないでしょうか。
信長のセリフを分解してみます
ここで、『播磨灘物語』の「官兵衛、信長に拝謁シーン」での信長のセリフだけを拾い出してみましょう。(①〜⑧まであります)
全体的に、思い切り ”短文” に偏らせているのが、その後引き続き描かれる「サイコな信長」をよく表しています。
「負」のセリフ
①「官兵衛」
面をあげよ、という言葉を節約したとの記述がありますが、そんなこと、初対面の官兵衛に理解できるはずもなく、平伏の姿勢を崩さないまま時が過ぎます。
②「官兵衛」
顔を上げない官兵衛に再び呼びかけるのですが、効率第一を旨とするサイコ信長にとって、こっちのほうが無駄ではないかというツッコミが、心のなかで頭をもたげます。
③「播州に、何ぞあったか」
臨席する武井夕庵のとりなしで顔を上げた官兵衛への第一声ですが、すごい圧を感じます。
事前に用向きは聞かされているわけですから、「官兵衛は姫路の者と聞いた。播州の勢力状況はいかに?」などと聞くならともかく、「なんかあったんか? あぁ〜?」みたいな言われ方されたらビビるでしょう。
「正」のセリフ
④「そのようにする」
官兵衛の話を聞き終わったあとの一言です。
一転して好感触です。
信長が人の話を長々と聞くことは珍しいというのは『新史 太閤記』ではわかりやすく説明されていますが、『播磨灘物語』ではやや婉曲的な表現になっています。
とはいえ、このくだりを読んでいれば、それは言わずとも知れたことです。
長話を嫌う信長ですが、官兵衛の才を認めていることがよくわかる一言です。
⑤「早いうちに・・」
「いつ『そのように』してくださいますか」と食い下がった官兵衛に対する一言です。
このあと信長に対し ”問い重ねる” という、いわば禁忌とも言える行為を官兵衛はするのですが、そのやり取りにはそこはかとなく「官兵衛と信長のじゃれ合い」がうかがえて、ちょっとだけ微笑ましくなる瞬間です。
いざ秀吉!
⑥「そのことは、藤吉郎と相談せよ」
武井夕庵が思わず止めようとした ”官兵衛の問い重ね” に対し、ここで満を持して秀吉の名が登場します。
かなり唐突です。
『播磨灘物語』は播州の人・黒田官兵衛を描く物語なので、いわば秀吉は「異物扱い」
官兵衛が織田家への羨望を持つことについては、このシーン以前からたっぷりと字数が費やされていますが、対象はあくまでも ”織田信長”、あるいは ”織田家” であり、司馬さんは秀吉のことなどおくびにも出していない。
いきなり、それも「信長のセリフ」として、説明抜きに名前だけが場に出されるあたり、司馬さんのテクニカルな書きぶりと言えるでしょう。
読者を振り回す「遼太郎スキル」
さて、ここまでの発言を特徴別に並べてみると
①②③→突き放される
④⑤→一転して寄り添われる
この一連のシーンはスパンが短くテンポも良いので、一気に読めてしまうところです。
それだけに、二人のやり取りに釘付けのままページを追い続けることになります。
それゆえに気づきづらいですが、読者の意識は左右に揺さぶられます。
そこで真ん中にズドンと⑥で「藤吉郎」が打ち込まれる。
信長というギミックを介して読者の意識に秀吉の存在を確立させるテクニックに思えて仕方ない。
この時期の歴史を知っている人なら「出た、ここで秀吉!」となるでしょうし、知らない人ならこの唐突さに『藤吉郎』が強烈に印象されるでしょう。
しかも、秀吉を一気にまつりあげた状態での信長の次のセリフが
⑦「その者は、近江長浜城にいる」
RPGでいうなら「次の目的地」が示されたようなもので、物語進行のベクトルがはっきりと目に見える。
そして最後に
⑧「その長浜の藤吉郎を申次(播州の担当官)にしよう。帰りにでも長浜へ立ちよって藤吉郎と物語などせよ」
こんな長めに喋れるなら「面をあげよ」くらい言えよ、②が余計だったじゃないか、というツッコミはともかく、これで次のタスクまでが明確になります。
この「読者の心情を左右に振ったところで ”重要人物の名前” を放り込む」というあたりに、司馬さんの「キャラを立てるスキル」が存分に感じられます。
「皆が知る信長」ゆえの停滞を防止する遼太郎スキル
ストーリー展開としても「信長登場」というキーポイントゆえに、読者も無意識に「自分が持ち合わせている信長の知識」と突合しながら読むと思うので、ついつい ”立ち止まって見定める” といった読み方をしがちだと思われます。
するとどうしても進行がゆっくりになりがちで、そのシーンを「切る」ためには、わかりやすい転換点を作るのが得策な気がする。
そのギミックとして使われた「次の目的地」「次のタスク」の効果を感じつつこのくだりを読むと、次に控える「秀吉登場」での司馬さんのスキルに期待できて二重の面白さが味わえます。
ちなみに、秀吉登場シーンでは「信長登場シーン」とは違い、ほぼ秀吉自身のセリフはなく、「官兵衛が見た秀吉観」が長めに語られます。
「短くしか喋らない信長」だったから「よく喋る秀吉」という安直な対比はされていないのもまた注目する点ですが、今回は「その場に居ない秀吉」がテーマですからそのへんは割愛しましょう。