「間温め(まぬくめ)」
この不思議な言葉の響き。
捉えられるようで捉えきれない、イメージ化が及ばない深みを感じます。
『竜馬がゆく』ではじめて見た言葉なのですが、単なる「暖房」とは一味違う気がするのです。
単純に「部屋を温める」ということではなく、「部屋が人に温みを感じさせる温め方」といった印象を受けました。
温めようとする人の行為と、温められる側である部屋との相互作用によって生まれる状態であり、その温みには ”心” も通っている、と。
この微妙な状態が「間温め」という表現にそぐうものではないかという感想を持っています。
西郷が竜馬のためにした「間温め」
上に書いたように、この「間温め」という単語をはじめて見たのは『竜馬がゆく』においてです。
薩長同盟寸前、薩摩の煮えきらぬ態度に業を煮やした竜馬が、夜道を駆けて薩摩藩邸に乗り込み、西郷を詰問するくだりです。
有名なクライマックスシーンのひとつですね。
冷える竜馬
1月の夜半、しんしんと冷える京の街を抜けて、竜馬は薩摩藩邸にやってきた。
その少し前、桂小五郎の宿を訪れて薩長の会談が不首尾に終わったと知るや、怒髪天を衝く勢いで激昂し、温まるまもなく飛び出した。
時代は江戸末期。
街灯はなく、現在とは比較にならぬほど暗いうえに、近視の竜馬。
目的地を探して迷ううちに、寒空の下で身体はどんどん凍えていきます。
密偵に道を聞くなんていう大胆さを発揮した挙げ句、ついに薩摩藩邸に到着する。
温める西郷
いっぽう、夜半の竜馬来訪を知らされた西郷は「竜馬は怒っているな」とすぐに察し、応接部屋へ移動して竜馬を迎えようとします。
「薩長同盟が成らねば桂を斬り、西郷を斬り、そして自分も腹を切って死ぬ」と語っていた竜馬が怒ってやってきたと知ったわりに、ここでの西郷の措置はなんとも悠長です。
部屋へ入った西郷が下僚に与えた指示といえば、これでは火鉢が足りないので追加を持って来なさいというものでした。
これから不穏な来客を迎えようというのに、落ち着き払った指導者。
剽悍で鳴った薩摩隼人といえど、この西郷の態度には当惑します。
その部下に対し西郷は
「もっと間温めせい」
と短く言い、その後笑いながら
「あの仁は、寒がりじゃからな」
と付け足します。
土佐の南国育ちの竜馬には、京のこの寒さは堪えるだろうから、という気遣いです。
なんだかすごい余裕。
無意識に「上手く進むな、これは」と思ってしまう。
もちろん薩長同盟の成功は既知のことですから上手く進むことはわかりきっていますので、”上手く進む” のはあくまでも「小説としての見せ場の成功」のほうです。
たかが火鉢を増やすだけなのに、そこにエンターテイメントを演出し、読み手の溜飲が下がることと薩長同盟成功を同化させてしまう司馬マジックです。
司馬史観が説得力に溢れているのは、史実をこういった感情の揺さぶりとともに読者に印象付けるからではないかと思われます。
察しない竜馬
それでいて、西郷の心遣いは竜馬に通じるかと言えば、そうではない。
竜馬は「間温め」には気づかずに西郷を怒鳴りつけ、詫びさせ、さらには「今から桂をここへ呼ぶ」と勝手に場を仕切ろうとする傍若無人さを見せますが、とにもかくにも薩長同盟はこのときの竜馬の立ち回りで動き始めるという結果を招きます。
「間温め」というくだりは、竜馬と対面してしまえば、筋書きの中では効を発しない。
とはいえ、流れていくシーンに一拍挟むタイミングで使われたこの言葉は、とても深い。
おまけ 〜 『関ヶ原』の中での「間温め」
その後『関ヶ原』の上巻でもこの不思議な単語を目にします。
起き抜けの寒さが尋常ではないある朝、家康は珍しく「茶の支度をせよ」と命じ、謀臣であるとともに盟友と言ってよい存在である本多正信の同席を指示します。
諸事質素な家康は、華美な茶の湯などは好まない。
これは、徳川家臣なら誰もが知る常識です。
茶室で座についた正信が「お珍しいこと」とその点を指摘すると「寒いからだ」と種明かしする家康。
広い屋敷内で「間温め」が利くのはこの狭い茶室だけだからだ、という吝嗇な家康理論に正信は大いに満足するという一節ですが、私はこのシーンが好き。
たぶん『関ヶ原』の上中下巻の中で最も好きなシーンと言って過言ではありません。
この作品はテーマがでかいだけでなく、途中から果てしない群像劇に肥大して再び石田三成に集約する壮大な物語ゆえ、心に残りそうな話は山ほどある・・
・・というのに、早朝の狭い茶室にジジイが二人で籠もって密談しているシーンが一番好きというのはなんとも珍妙なことです。
たぶん、それもこれも「間温め」のせいではないかと思います。
やはりこの言葉、ただの「暖房」には決して表せない独特の趣があります。
ちなみに、WEBで「間温め」を検索しても、”部屋を温める” と説明された情報にはまず行き当たりません。
気になった方は調べてみてください。
私は気になったので調べました。
でも見つからない・・
司馬さんの造語なのか、なんらかの文献に記されている表現を使ったのか、その意味でもまた奥ゆかしい言葉です。