「2位じゃダメなんですか?」
このセリフ、十数年前に話題をさらいましたね。
「ドリル優子」ほどのインパクトには欠けるかもしれませんが、これも充分、”時を越えるフレーズ” です。
期待外れの「事業仕分け」
民主党が大勝して政権を取った直後に行われた事業仕分け。
”なにか” を期待した人がどれくらいいたのかはわかりません。
ちなみに私は「事業仕分け」という言葉を聞いたときにはずいぶん期待しました。
民主党政権の誕生を危ぶんでも「事業仕分け」には期待した・・
ところで、へそ曲がりの私は2009年の民主党大勝の選挙では、実に珍しいことに自民党に票を入れていた。普段ならありえないけれど、このときのマスコミの異常なまでに恣意的な民主バイアスに不信感を抱き、バランスを取る心理が働いたための行動だった。
そんな私でさえ、民主党が意気揚々と掲げた「事業仕分け」というタイトルには心を動かされた。
しかし、いざ始まってみると「なんだこりゃ?」に変わった。
事業の妥当性について検証し、問いただすうえで観念論や抽象論を持ち出すのは、「人心を解し、声なき声を拾い上げるのが本分」の政治家の態度としては理解できなくもない。
だからといって、事業内容に深入りするのもどうでしょう・・?
国の事業の枝葉の部分まで深堀りしてしまうと、逆に大多数の国民の理解の範疇を越えてしまい、せっかく期待して票を入れてくれた相手に響かない。
そして、そんな会計検査院の下位互換みたいなことをしても、肝心の官僚にはもっと響かないでしょう。あしらわれて終わりです。
見ているうちに「これはプラセボです」と種明かしされた効果のない錠剤を飲まされているような気分になって、期待感は消えてしまった。
元公務員が期待していた光景
せっかく、会計検査院とは違う切り口で官庁の予算執行に踏み込めるわけです。
しかも公開での問いかけまでできる。
それなら、彼らの計画能力に迫るのが、私の一番の期待だった。
私が現役の国家公務員時代に強く感じていた疑問
なぜ会計検査院は、官庁が「お金を要求した事業の内訳」と、「お金を支出した事業の内訳」を突き合わせないの?
言い換えると
予算を獲得できた理由と、その名目で獲得した予算執行の乖離を指摘しないのか?
つまり、税金の使い方に関する計画性と責任性を問う質問です。
この質問は小中学生でも、、というか小中学生だからこそ抱きやすい疑問でしょう。
金額だけの比較なので、それこそ小中学生でもその精査を実行できそうです。
たぶん民主党の事業仕分けよりも鮮やかにやってのけ、しっかりと成果も出せそう。
役人の言い訳「実行上はそうならない」は許されないシビアな状況
もちろん「すべてが計画通りに進められるとは限らない」という意見があるのは承知しています。
私の居た現場でも ”実行上” という単語は十分すぎるほどの正当性を持って使われていたので、そんなことは百も承知。
しかしここ数年だけを振り返っても、国がやったことで、その計画性の無さゆえに中身がスカスカで大炎上した案件はいくつもある。
高度経済成長中なら許せても、不況下で上がり続ける国民負担の中、この体たらくは許せない!と思った人は、決して私だけではないでしょう。
そんな中においては、個別具体の事業の適正性を調べるのも良いのだけれど、そもそもの「目的を見据えた計画の立て方」を糺していくのは、いわゆる「ムダ使い」の防止に最も効果を持つ意義ある在り方だと思うのですが・・
預かった税金で運営しているのだから。
【財源】という言葉を振りかざす前に、今やっている政策が生んでいる効果(国家公務員の業績)に目を向けるべき。
私の公務員現役時代でもよく発されたフレーズ「スクラップ・アンド・ビルド」は、たぶん今でも多用されているのではないかと思いますが、あんな言葉に騙されてはいけない。
あれは「成果はどうなのか?」の評価が手前味噌過ぎてあてにならん・・
「公共事業に金が使われて景気高揚になる」
と
「減税により物価高に対応する」
というトレードオフを迫られたら、私は後者を選ぶけれど、現在の状況ならそう考える一般人は私だけではないと思う。
【財源】を求めるならまずは業績不振の公務員たちが抱え込んでいる ”事業予算” じゃないのか、と。