「官庁の予算執行実務現場では、とにかく『使うこと』に四苦八苦している」
官僚の過重労働に関する報道で毎回取り上げられるのは「キャリア官僚」
私に言わせれば「使い切れない予算をさらにさらに得ようとする側」の人間。
一顧だにされないノンキャリアの下っ端公務員ほど、この「予算を使うのにヒーヒー言っている実情」に明るいはず。
たとえば委託契約で言うと「誘引」「締結」「概算払」「精算」など各工程ごとに別々の起案文書が事業担当者(起案者)によって作られる。
それら起案文書の体裁を整えて局内決済を受け、その後会計課の了承を得ることで委託の内部処理は進むので、まさに己の一歩が事業推進に貢献する働きを担う最下級レベルの公務員。
現在でもこの仕組みは変わっていないと思いますが、予算執行実務(事務作業)の動体を担っているのは彼らだといっても過言ではないでしょう。メディアからはまったく相手にされませんが・・
最も効果の高い政府支出
「使うのに苦労するほど持て余す予算なら、無理やり使って「大食いの下痢」みたいな使い方をしないで、今話題沸騰の【財源】にしたら?」
『民力活性化事業』という公共的なお金の動きを、政府が音頭を取ってやってみたらどうかと。
その手段が「取りすぎている政府マージンの弁を調整する」で、要は減税であるということですね。
「子供国会(架空)」での政府答弁は可能か?
「ねえねえ、どうして国の役所では『こういうことをするから〇〇円ください』と要求して付けてもらった予算なのに、その予算を使った実際の事業を比べて見せてくれないの?」
実のところこういう、子どもがしそうなシンプルな問いに、正面から応じられる役人はあまりいない。 役所内では「実行予算」と一言言えばカタがつくので。
そもそも、そのような疑問を持ちながら官庁内で働いている人も、あまり居なさそうな気がする。
私はちょいちょい口にしていたが、賛同者は誰も居なかった・・
役所内で、予実の比較検証やPDCAをしないというあり方は、利潤を作り続けないと成り立たない民間企業の感覚とはまるで違う。
単年度決算という拷問
もちろん役所でも入札を実施してコストダウンをしたりするが、それは金額面だけの単一要件にすぎない。
計画の練り方や手順の作り方の革新といったものに手を砕いた経験はなく、そんなことよりも大事なのは ”年度内に予算を使わなければならない圧力” への対処だったりする。
この圧力は1年を通して途切れることのない焦燥感を生み、特に年を越すと加熱状態が激しくなり、年度末には部屋の空気の濃度が変わるほどなので、私にとっては本予算とは別に後から付いてくる補正予算というものが迷惑千万な存在だった。
「金を残してはいけない」というこの感覚は、例えて言えば裸足で乗っている鉄板を熱されているような苦しさを伴う。
ゆえに、計画をきっちりと立てて事業を適切に監督し・・なんてやっている余裕はない!
・・というのが正直な感想かもしれない。酷い話です。
前にも書きましたが、私が公務員を辞めた要因の大きなものがこれでした。
落札価格が安かったら「節約」なのか?
もしも入札で予定価格を大幅に下回ってしまいでもしたら、今度はその余剰分のお金を使うための手段を考えなければならず、考えついたら次はそれを実行しなければならない。正直言ってたまったものではない。
これも予実比較の感覚で言えば「〇〇円の予算で事業を考えていましたが、入札で△△円に抑えられたので、余剰分は国庫へ返納します。国債償還に充てます」として、じゅうぶんに【財源】たりうるでしょう。でもそんなことをしている実例に出会ったことはない。入札で余った予算は別の使い途をひねり出して投入する。
だから、年度末近くにそれがあったら怖い・・
とにかく予算を使い切ることへの重圧が強く、何が何でも消化したい。
金さえ失えるなら質はどうでも良くなってくるほど追い込まれる。
どこの部局でも国会対応や各省協議、検討会や審議会の実務を抱え、加えて会計のオペレーションにも常にアップアップしている状況では、その予実管理やPDCAなどにリソースを割く余裕は1ミリもないのが現場の実態です。
ですが、「国の金」を扱うという点で、”入りと出” を大掛かりに並べて検証する方法といえば予実比較以上のものはないのではないかと思える。
当然、これをやる中では成果(国家公務員の業績)が問われますが、それを事業仕分けのときみたいに大々的に公の場で行うのです。
そして、当時より貧困化が進んで許容範囲の狭くなった大衆の批判にさらされる。
だからこそ良いことでしょう。
その時に痛みは伴うものの、無駄な予算獲得が減少した分だけ、執行の異常な負担も減って働きやすい職場になりそうです。