本来、基幹システムとは『働く人の味方』という性質を持っている。
それまで人間が手間ひまかけてやっていた社の業務の中でも特に、重要かつ速さと正確さが要求され、その分だけ従業員を消耗させて社業の力を削ぐ部分を機械化するものだったはず。

導入することで社員は生産性の低い膨大な作業から解放され、楽になる。
もちろんそれだけだと単に社員を甘やかすだけだが、システム導入の効果は当然それだけではない。
社員に生まれた余力を、より高度な業務に従事させて社業の繁栄に深く貢献させることができる(その仕組みを整えることができる経営陣ならば・・だが)
システムは叩いても壊れない(壊せない)
上の一文で何気なくタネ明かししていますが、「システムを導入したときの全社業務のステージアップ計画」が入念に図られていない状態で作られたシステムは、『基幹システム』の名に相応しからぬことになる・・という話です。
いったん導入されたシステムは、現場からどれほど忌み嫌われても驚異的な生命力を発揮する。

場合によってはむしろシステム導入前よりも激しく、現場の精神力と体力をえげつないほどに奪って社の生産性に大きなブレーキを掛け続ける。
そんな迷惑な存在ながらも、その生存のために容赦なく多大な経費と時間を浪費させる。
そして、リストラなども含めた抜本的な見直しの中ではなぜか聖域化するので誰も手を出せない。
国会議員の定数みたいな存在です。
なぜか擁護者があちこちで発生する不思議な「システム」
現場でシステムの不合理さに付き合わされて辟易し「あのシステムは迷惑だ」と主張する。
すると「あれがあるからこの業務が成り立っているんだ!」と否定する人間が必ず現れるところも、理不尽な聖域化に一役買っている。

これは、その「どこかおかしい正論」に負けてしまう人が圧倒的に多いせいです。
(と私は思っています)
現場の声を押さえ込んで、誰が幸せを享受しているのかという追及はひとまず置くとして、私の見るところ、「正論」なるものが平然と幅を利かせている組織では、要件定義は絶対に失敗する、と言って良い気がします。
本来ならしっかりと議論すべきところを ”聖域” としてしまったら、システムが理想的に作用するかどうかが ”神頼み” になってしまうからです。
<続く>







