システムには高い金をかけてるんだからあまり細かいことでガタガタ言うなと暗に主張する上層部

しかし、高い金をかけたということと、それが免罪符になるということは全く別な話です。
むしろ 高い金をかけたのに役に立たないということで良いのか?
それが許されていることが許せないというか・・
高い報酬を取ってるヤツに対する期待と失望と怒り
高い歳費や議員特権をたんまりもらっている国会議員。
その多額の実入りに応じた活躍を期待する我々庶民。
彼らには、我々のそんな想いに応えてほしい。
そう願うのは当然のことと言えますね。

自分たちの働きの代償である「お金」という共通の尺度で比較する分だけ、成果と報酬のバランスに対する見方は、より一層シビアになる。
その前提があるだけに、国会議員が国民の役に立たないとなれば我々は納得がいかない。
要件定義以前の ”感情の処理” が必要な「すでに悪評高いシステム」
それと同じくシステムも「高い金をかけたのならそれだけ役に立てよ」と思うのが我々 民衆、つまり現場の作業者たちの共通の見解ではないでしょうか?
にもかかわらずなぜか「高い金を食う」というだけでシステムが無条件に「特権階級」のポジションを獲得し、働きが悪いことが許されているということは、働かない国会議員に対して 我々が感じる不満と同じ種類のものを感じる。

それと似た心情が会社の中にわだかまっていると考えられないでしょうか?
システムに対する現場の考え方はそんな感じだと思うのです。
さて・・
「要件定義」って、感情抜きで教科書通りにできるものなのですか?







