システムの「ここをこう改善してほしい」という現場の声は通るか?
基幹システムは、日々携わっている業務に多大な影響がある重要なインフラです。
それなのに、なぜか圧倒的マイノリティになる「システム改善を求める声の主たち」

なぜか、色んな理由をつけて退けられる。
私は転職や転勤・配置換えを何度も経験して、いくつもの組織で働いたことがありますが、どこも似たりよったりです。
(業務に精通し、充分に腕前を認められた状態でもそうなのです)
私はこれが不思議でなりません。
だから自分で道を切り開いて来た、というのがこちらの記事ですので、読んでいない方でご興味をお持ちの方はこちらから御覧ください。
もっと効率よく利潤を得るために存在しているはずのシステム
それを最も多用する層が、ほんの僅かの願いの声さえ上げづらいなんて・・ネ
政治と現場(庶民)の悲しい関係
ちょっと話を置き換えてみましょう。
要件定義の難しさを理解するうえで参考になると、個人的に私は思っています。
もしも、かつての古き良き時代なら、、、
適職に就いて活躍の場を獲得→その仕事によって社会貢献を果たす
そのプロセスの中で上がっていく収入→納税額の上昇

国の側からこの図式を見た場合、どう考えても一粒で二度の美味しさを期待できる国民の「上手な使い方(活かし方)」ではないでしょうか。
要件定義は「ウィンウィン」の関係にある者同士の間で成功する
国民は社会的な実力発揮で自尊心が満たされるうえに、実入りも増えて私生活も充実する。
その結果として幸福感を味わうことができ、政治に対する疑心暗鬼や憤りも比較的起きづらいでしょう。

一方で国は、国民を存分に働かせて技術力や富力などのいわゆる「国力」を得ることに成功しつつ、さらには会社が国民に払った報酬から税金を多くとることができる。
現在の状況に比較すれば・・というより比較にならないレベルでウィンウィンですね。
理想的なパートナーともいえる関係です。
ウィンウィンの関係に無い者同士での「要件定義」はうまくいかない
しかし、その大事なパートナーたる国民からの期待を裏切って苛烈さを増す、ここ30年ほどの政権運営・・
結果として政治に対する無関心と、政権に対するルサンチマンが蔓延しているのは、特にネットの世界においては顕著ですよね。

これって、システムを介した会社と現場従業員との関係に、どこか似ている気がするなぁ・・
システム運用を技術的な意味で捉えるのがエンジニアで、「要件定義」とはあくまでも ”機能するかどうか” だけに純化して捉える職業といえるでしょう。
一方、ユーザーにとっての「システム運用」は、システムの稼働に伴って ”人を動かす仕組み” でもあります。
このため、「コード進行」よりもよほど複雑な『高度進行』が求められます。
単なる技術力だけでシステム運用は出来上がるものではなく、組織内の人間関係や、評価と報酬といったかなりドロドロした要素を含んでいる。

・・となれば、まずはその関係がウィンウィンであるか・・少なくともウィンウィンを目指しているか?が、実際はまず問われている(特に現場から上層部に対して)。
どうでしょう?
要件定義して作ったシステム、ユーザーの評判をリアルに聞いてますか?
システムで浮き彫りになる、その会社の「人使いの腕前」
すっかり悪い癖がついてしまったシステム運用の中に立っている我々にとって「要件定義」とは、言葉以上に難しいものなのかもしれません。
システム運用とは、本来は現場の声を偏りなく吸い上げ、使う人の気持ちを汲み、会社全体として良い方向へ進ませるために予算を食って働くものです。

同じように、国民の声を偏りなく吸い上げてその気持を汲み、国家全体を良い方向へ進ませるために多額の行政予算や議員の給料を食って働くものと考えれば、やっぱり政治によく似ています。
上に述べたような理想的な形で国民と国が良きパートナーとしての関係が築けていれば、「食わせた予算の分だけ働いてるよな」と納得も行くでしょうが、残念ながらそうはなっていない。
要件定義がうまくいく最初の条件が、全くないがしろにされている気がする方が多いと思います。
これが会社の中で起きている。
だからこそシステムに対する無関心と、会社が舵を取るシステム運営に対するルサンチマンが蔓延する現場(企業活動の動体)の関係は冷めたものになっている。
これが、30年以上実務とシステムの間を取り持ってきた中で(誰に頼まれたわけではないけれど)得ている実感です。<雑談は続く>







