【感情会計】善意と悪意のバランスシート

善と悪の差し引き感情=幸福度

国家公務員が節約した予算は国の借金返済に充てられるか?という疑問

官庁が主張する ”必要予算” (=これを維持・増加し続ける財源が必須、というロジック)を信用していないという話を書きましたが、今回はその関連話です。

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これらのことは、当時の私の記憶をもとに書いています。

そして、予算そのものとかその意義についてではなく『予算執行実務』に焦点を当てています。

 

当然ですが予算執行は簡単にお金を振り込んで終わるものではない。

たった一本の委託業務であっても、その企画から支払行為に至るまでの間には、部局をまたいだたくさんの人の手がかかる。

 

契約締結までに容赦なく時間がかかることが多く、そもそも単年度決算という制約の中で、大量に事業を実施することに適した組織とも思えない。

 

国家が実施する大切な事業なのだから、本来は丁寧に行って、然るべき成果を確実に得る仕事ぶりでないとおかしい(というか国民に申し訳が立たないはず)

 

そんな現場がオーバーフローしていることに焦点を当てていますので、「事業の意義はどうなのか?」といった仰々しい見方に関心のある方にはつまらない話だと思います。

 

だいたい、古い話ですから、今が全く同じとは言いません。

 

「そうそう、現在はまるで違うぞ。業務現場は健全で、事業は一つ一つ血の通った管理のもとで為されている」

 

それならよいのですが、歳出予算額が過去最高とかがニュースになるいっぽう、予算の割に中身が伴っていないと評価される事業も後を絶たないので、まあ役所らしく現状維持なのかなという認識です。

 

だから、当時とさほど変わっていないだろうというスタンスで進めたいと思います。

 

 

【報告書】を例に昔話を・・

発注内容がどんなに世の実勢とズレていて、「これは請けた相手方(天下り先とか)の生活費じゃないかな」と思ってしまう胡散臭い実施要領(仕様書)であっても、大手を振って係数要素を主張できる成果物として【報告書】がありました。

 

簡単な書面の場合もあるし、冊子として製本されているものもある。

自治体や検討会向けに配布することもあるし、関係する事業者などに渡すこともあるので、その場合はそれなりの部数が必要です。

現在ではPDFなどの電子情報で受け渡しできるはずなので、計上経費の中で紙媒体が幅を利かせることも難しいと思いますが、私が居た時代はとにかく紙が全盛の頃です。

 

これらの報告書は担当者のもとに届けられ、成果物として受領することになる。

 

積算時に使い勝手のよい「当時のトレンドアイテム」(今は何だろな?)

私は局の会計業務ポジションに、約3年間在任しました。

その間に実見した委託や請負の積算資料で、報告書の予算計上をまったくしていないものは、あっても年間に1件ほど。

事業は年に300件ほどあったので、報告書を要しない事業がいかに少ないかが分かります。

紙の報告書は積算根拠にしやすいのが特長であり、予算の積み増しに使えるのはもちろん、どんなにファンタジーで掴みどころのない仕様書であっても、必ずここだけは具体的数値で表現できる。

 

そして、どんな事業内容であっても物理的な産出物として受け取ることができるし「なんか仕事した気になれるアイテム」のひとつとしても説得力がある。

 

しかし、かつての私の直属の上司で、この「報告書」にメスを入れた方がいました。

 

「ナアナアな慣習」に切り込んだら国の借金は返せるのか?

その上司に対しては、「前任者はこうやっていました」が通じない。

 

「それじゃダメだ。議論にならないだろう」

そう言って、正当な根拠を元にした書類や意見を求められる。

 

この方針は私に対してだけでなく、局内各課の事業担当者にも同様で、特に印象に残っているのがこのセリフ。

「仕様書に『報告書☓☓部』って書いてあるけど、配布内訳は?」

このときにその担当者が、例えば他省庁からの出向者で、こちらの内情を知らないがゆえに「いや、この内容で引き継いでいるから・・」などと回答すると、問答無用に突き返される。

 

担当者は起案文書を持ち帰って『実際に見込まれる配付数』の数字を弾き出し、積算内容も変更して再提出することになります。

 

慣習によって生まれるムダ

この上司の、頑として譲らない行動には理由があります。

 

局の倉庫内に、膨大な報告書の山がやたらと積み重ねられている。

関係者に発送した残りの部数が大量にあり、とうてい担当者の席には置けない。どんぶり勘定の弊害です。

その場合、行き場を失った報告書は「とりあえず倉庫に入れとこう」となるからです。

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それらの日付を確認すると、昨年度末くらいのものならまだしも、何年も前の事業で提出されたものなんかも束になって残っている。

搬入されたまま触ってもいないと見られるものがこんなにあっても、もはや使うことなどないだろうに。

 

これらの報告書はそのまま放置され、倉庫のスペースを圧迫し続けている。

これが許せなかったらしいのです。

 

事業数 ☓ 使わない報告書数 ☓ 年数 + 保管コスト

一事業の総額から見れば、報告書の印刷費なんてたかが知れている。

(今回は「報告書」がトピックなのでここにフォーカスします)

 

とはいえ「不要なものを作らせ、その保管コストまで発生させるトピック」を事業予算として積算計上していることは、一般民間人からすればムダもいいところです。

 

稼がなくても食える公務員のコスト感覚は、どんなに綺麗事を口にしても、態度に表れてしまう。

だいたい「使い切れ」の至上命題がつきまとう予算消化業務という ”公務員的現実世界” の中では、予算を余らせることが最大のリスク。

「ムダな印刷」がリスク回避になるならば、積算にそれっぽく乗せるお手軽ライフハックを使わない手はない。それが蔓延していた。

 

そんな中で、私の上司はそのコスト感覚を観念論に終わらせず、実行に移した点はある種の快挙といって良いかもしれません。

 

ということでそのスタイルを取り込んだ私も、上司に倣って同じように各課の担当者に接し、適宜修正を依頼するようになった。

 

「浮いた経費は節約しない。別の場所で使う」⇐役人はこれをする

たとえば前任者から引き継いだ内容「報告書100部」にメスを入れた結果

60部:内訳(検討会委員数■■+関係機関●●箇所+局内関係者▲▲)と、なんと40%もの削減効果があったとします。(実際にこういうケースはいくつもあった)

 

さてここからが問題です。

ではその、減った報告書40部のコストが事業予算から差し引かれ、不用として召し上げられ、財務省がご執心の「国の借金返済」に当てられるか?

 

もしも総本山である中央官庁がそれぞれの部署でそういった行動を取れば、やたらと国民から税の追加徴収をせずとも、まずはお手盛りの「借金返済」が自分たちの裁量でやりたい放題ではないか。

「私たち公務員も頑張って節約して、国の借金をこれだけ減らしましたよ~」も、全体の奉仕者の姿勢として、あるべき姿なのではないだろうか?

 

・・と言うか、国の借金だと主張するならまず「国の役人」が負債圧縮の自助努力をしろよ、当事者だろお前たちは、と言うのが一般国民の感情ではないかなぁ・・

 

しかし残念ながら、そんなわけはない。

浮いた経費は同じ事業の中の別な積算根拠に当てられて、事業予算の枠が変わることはない。

 

こういったことを各省各局各課が、自分たちが獲得したシーリングの死守を第一等に据えている結果として「財源が必要」という概念が生まれてくると思っている。(というか、そこを見ないことにして「もっと予算を!」と言っている気がする)

 

それこそ「働き方改革」を適用すれば・・

これは公務員自身にも止められない構造的な問題だと思うので、かつての民主党の事業仕分けには一瞬期待したのですが、「事業の意義」みたいなことをつつき出した瞬間に絶望しました。

そういう攻撃には百戦錬磨の彼らに対し、わざわざ強いところを攻める愚を犯していたからです。

 

私ならこういう資料提出を求めたい。

・予算要求内訳と、対応する実行予算内訳の対比資料。(要求した理由と使い方の整合で「計画能力」を計り、予実の乖離が甚だしければ要求内容を変えさせる。スクラップ&ビルドは言葉遊びではない。ただの踏襲を財源扱いさせない)

 

・契約本数と担当者数対比。(勤務実態を把握。「他者にさせる国の事業」を監督するのだから、他の業務と重複して頑張るとしても限度があるはず)

 

・事業開始日と締結済み契約書原本の突合。(締結してから開始する常識が遵守されているか? 契約までの実務が間に合わずに事業が先行するのは信用問題もあるし、それ以上に担当者への過剰な負荷に着目すべき)

 

・終了日を過ぎた案件の精算書の早期提出。(これも、早期に出てこない理由が「過重労働」であるならまずはそこが問題)

 

これらは「出させること」が目的ではなく、「出せない実情の把握」が目的。

そして、出せない件数を把握したうえで執行実務現場の実情を聞き取れば「できない分量の仕事を無理やり回していること」は明らかなのだから、事業仕分けのメスはそこから入れればいいのに・・

 

自分たちの能力の範囲を超えることなら、予算を取ってまでやるな!と。

 

まずは、しっかりとした成果を出すことができるかどうかという観点で人材と組織のアセスメントをやって、どの程度の規模までの事業(予算)を投下するかを決めてほしい。

 

とにかくあの勤務状況は異常だったので・・という、下っ端公務員ならではの私見でした。