【感情会計】善意と悪意のバランスシート

善と悪の差し引き感情=幸福度

【新選組遺聞】【燃えよ剣】新見錦の切腹は派閥抗争じゃないという考察④

後世の我々は、新撰組の近藤勇がひとかどの人物であることを知っています。

 

しかし、幕府が徴募した浪士組が230名の一団となった中で、「江戸の試衛館」は全くの無名。

 

近藤勇は、土方や沖田、永倉に藤堂といった精鋭を何人も従える傑物だったわけですが、そこはやはり無名の悲しさ、「試衛館の長・近藤勇」も浪士組の中では弟子や食客たちと横並びの身分に過ぎなかった・・

 

前身組織での不遇

浪士組は総勢234名。

 

子母澤寛さんの『新選組始末記』によれば浪士組は全7隊。そして近藤勇は六番隊の平隊士ということになっています。

 

じつのところ浪士組の編成は「どの時点で切ってみるか」によって、隊士の所属や役職が異なるようで、調べていると少し戸惑うことがあります。

 

江戸を出発したのが文久3年2月8日で、京都から去ったのが3月13日。

その間たったの1ヶ月強ですが、人事は目まぐるしく変わったらしい。

 

ブログを書くのに統一性がないとやりづらいので、浪士組の頃の役職について、基本的には子母澤寛さんの著作『新撰組始末記』(新選組遺聞とは別作)の記述を用います。

 


新選組始末記―新選組三部作 (中公文庫)

 

ノンキャリア、下っ端の近藤勇

7つの隊にはそれぞれ平隊士が二十数名ずついます。

そして平隊士の上官として各隊に3名ずつの「伍長」が据えられており、これは全部で21人もいるわけですが、近藤はその中にさえ入れてもらえていない。

 

近藤の埋もれっぷり。

なかなかのものです。

では芹沢鴨はどうかというと・・

これは隊とは別役の「取締付」に任じられている。

すでに世間に声望のあった芹沢に、この役職が与えられたものと思われます。

 

後の世の我々からすれば、幕府役人の近藤に対する遇し方は「見る目がない」

まあ、今だから言えるだけのことですが・・

 

枝分かれ組織での出世がもたらす人事の混乱

浪士組の大半が京を去り、居残り組で人事のやり直しが行われる際、とくに注目すべきトピックは「それまでの近藤の身分が低すぎる」ことではないでしょうか。

 

結果的に、一隊士にすぎなかった近藤の身分が急激に上がりすぎるのです。

(あくまでも浪士団の中での話ですが)

 

多すぎる「近藤派」

新選組の初期メンバーは一般的に13名と言われ、内訳は「近藤派8、芹沢派5」になるので、これだと全体の六割強を占める勢力のトップが近藤ということになる。

 

では「新選組は13人」という思い込みを取り払う意味で『会津藩庁記録』に記された隊士で考えたとします。

浪士組に参加した者の名前を数えると19名。

これなら「近藤派8」は半数にも届きません。

 

しかしこの場合でも、明らかに近藤系と言える人数はすでに9名。

(近藤、土方、山南、沖田、永倉、斎藤、井上、藤堂、原田)

 

しかも、残った10名のうち「殿内義雄」「家里次郎」の2名についてはどうやら幕臣の鵜殿鳩翁から「京に残留する者の取りまとめ」を任された身らしい。

 

要するに「芹沢たちをまとめよ」と言われたわけで、もしも彼らが芹沢の子分なら、鵜殿はそんなことを二人に命じたりしないでしょう。

つまり、殿内と家里が芹沢系とは考え難い。

 

この時点で人狼側の勝利・・じゃない・・新結成された組織の最大勢力は近藤派ということになります。

 

ということで『会津藩庁記録』を元にしても、この時点で近藤勇は他のすべてをしりぞける数字を持っていることになる。

 

『翔んでる勇さん』になってしまうという結論

じつは近藤が頭ひとつ抜けてしまうこと自体はさほど問題ではなく、全員が横並びの立場だったなら近藤がトップになるのが自然です。

 

そこに元々の上官がいたことが、人事を複雑にしていると思います。

 

とはいえ芹沢はさすがに、近藤の異例の出世具合に影響を受けず、不動のトップの座を維持したと言って間違いないでしょう。

 

彼が ”筆頭局長” であるのは当然で、元々の声望が有るというだけでなく、新選組結成にあたって会津藩とのつなぎ役を担ったのだから、これは自然な姿でしょう。

 

問題は新見錦です。

彼は浪士組三番隊の伍長のひとりなのです。

つまり近藤より上位に居ました。

 

(上にも書いたとおり、浪士組の人事は目まぐるしく動いたっぽいので基本的には子母澤寛さんの著作『新撰組始末記』を元にした情報です)

 

下僚だった近藤の下風に立たせるのは、この当時の感覚としては穏やかとは言い難い。

 

というわけで「近藤を局長にするなら新見も上げておかないと」という一種の秩序感覚で祭り上げられた局長が新見錦だったのではないかと・・

 

『芹沢のゴリ押し』や『芹沢への忖度』とは一味違う【新見錦・局長就任の理由】があったのではないかと考えると、芹沢と新見が昵懇の間柄であったと決めつけることに疑念が生まれます。

 

近藤の急速な栄達によって押し上げられた異例な出世をイメージするために、前回『翔んでる警視』の岩崎と捜査一課長の人事を紹介しました。

blog.dbmschool.net

 

うだつの上がらなかった近藤勇でしたが、京都に居残る ”賭け” をしたことで、新組織では「キャリア組」とも言える栄達をし、いっぽうで新見の人事は無機質な組織力学の作用に過ぎなかったのではないかと・・

 

それゆえに、新見錦が詰め腹を切らされたからといって、すぐさま芹沢が土方を糾弾するとか、近藤と隊内で袂を分かつような表立った対立らしきものがあった様子も無く、派閥など最初から無かったのではないかという仮説でした。