隣家の敵方に命を狙われる中、戸締まりせずに泥酔し、前後不覚で熟睡。
おまけに、いつ白刃が舞う修羅場になるかもしれぬ自室に愛人を連れ込み、同衾。
結果、素っ裸のまま斬られてこの世を去った近藤派と抗争中の芹沢鴨。

「近藤派と抗争中」という設定さえなければ、芹沢の顛末にはさほどの違和感がない。
「何者かによる突然の襲撃に遭い、無念にも息を引き取った」という、当時の近藤たちの振る舞い(言い繕い)こそが、無理のない言い様であったと思われる。
この、無理を通す設定こそ司馬史観であり、同時にそれが司馬作品の魅力であると位置づけて書き綴っているここ数回の記事であります。
ワンサイドゲームだった戦い
やはり釈然としない・・
敵に「襲ってくれ」と言わぬばかりの芹沢の振る舞い。
「いやいや、芹沢は自信家で『オレは大丈夫』とたかをくくっていたのだ」
という説もあるでしょうが、芹沢派No.2の新見が殺された(切腹に追い込まれた)のは、この日からほんの十日ほど前のことです。
しかもその日の夜、土方は芹沢たちに対し、宣戦布告と言って差し支えないほどの態度をとった(あくまでも『燃えよ剣』の中では、ですが・・)
事態がここまで差し迫っている以上、芹沢が臨戦態勢を採っていてもおかしくはないし、むしろ「そうしろよ」と思う。
たとえば身辺に隊士を侍らせておくとか、外で大酒を飲むなら不用心な八木家には戻らず、料亭など人目のある場所に泊まるとか、少しくらいの警戒があってもおかしくない。
なにせ ”宣戦布告” されている身です(もう一度書きますが、これはあくまでも『燃えよ剣』での設定です)

武士としての体面から、臆していると見られたくない気持ちがあるのは想像できる。
しかし、少なくとも敵前でベロベロに酔っ払うのは避けるのが当然かと・・
頼りなさすぎる味方たち
ちなみに、襲撃のとき同じ部屋で寝ていた平山五郎も芹沢同様に酔いつぶれていた。
女と同衾しているところを斬り付けられ、首と胴が離れた無惨な姿を晒す羽目になる。
そして、残る芹沢派2名のうち、八木家の母屋に居たのは平間重助だけ。
平間は元々あまり酒を嗜まぬ男で、この夜も酔っ払うほどには呑んでいなかったようです。(でもコイツも女を連れ込んではいた。そのせいで為三郎兄弟はふだん寝ている部屋を追い出された。でもそのおかげで平間は襲われなかったのかもしれない・・)
平間重助の逡巡??
平間は事件の直後、「誰だ?! 誰がやった?!」と叫びながら八木邸内を歩いていたと為三郎さんは言っています。
ここに違和感が生じます。
誰がやったか? なんて、なんと寝ぼけたことを・・と、「派閥抗争設定」で考えたら誰でも思います。
平間は八木邸内を練り歩くヒマがあるなら、一直線に東隣の前川邸へ駆け込んで近藤と土方に対峙すべきでしょう。
おもて向き、近藤は芹沢との不和などは無かった体でこの事件を終わらせている。
当然、芹沢派の平間がやって来ても、隊士たちに命じて取り押さえるような無茶はできない。
平間が近藤の懐に踏み込んで一戦に及ぼうとするなら、決してできない話ではない。
実際には、事件直後の近藤や土方は八木邸の変を聞きつけて早々に駆け付け、八木家の家人に様子を聞いたりする機敏な対応を見せていますが、もしも平間のカチコミがあったならそれは不可能。
つまり、平間の特攻もなかったと言ってよいでしょう。
「派閥抗争」ではなく「陰謀」ではないか?
「芹沢派と近藤派の間には、激しい派閥抗争があった」は、『燃えよ剣』の世界観ではとても映える。
ただし、出自の違う集団が合併して生まれた組織で、たまたま一方のトップが死に、もう一方が生き残ったというだけで、そこに派閥争いの概念を持ち込むのは後世の我々の偏見を元にしているという言い方もできます。
司馬さんはそこを狙ったのかもしれません。あくまでも小説作品として・・
本当のところは、土方と近藤が仕組んだワンサイドゲームだったのではないかと私には思えます。
君たちじつは仲良しなんだな 〜 芹沢鴨と近藤勇の『協働』
ところで『新選組遺聞』には、実に面白いエピソードが紹介されています。
【壬生屋敷】の章の中の ”帳場に座った芹沢” という項がそれです。
このエピソードは八木為三郎さんの語りなのですが、八木家内の小さな子供が病死したときに芹沢と近藤がたいそう気の毒がって「武骨者で役には立たないが」と、ふたりで帳場に立ち、弔い客の応接役に任じたという話です。

為三郎さんは司馬さんとは違い、読者の喰い付きを狙う必要なんて無いですから、聞かれるままに語ったのでしょうが、なんともいえない人情味を感じるエピソードです。
八木家というのは壬生に古くからある【十人衆】のひとつであり、ただの郷士にすぎないので、仰々しく気を使うような相手ではないことから、人付き合いの延長で生まれた光景ではないかと思われます。
つまり、芹沢と近藤が
「よし!おれたちが一肌脱ごうじゃないか」
と、ごく自然に意見が一致したと考えてよいと思うし、そんなやり取りができる普段の関係性がうかがえる。
さらには
「葬列時の槍の持ち方が間違っている」と指摘した芹沢と
「これは昔からこの辺の郷士の作法です」と言い張った源之丞さん・・

そしてこのふたりの間で起こった軽い諍いを案じた近藤が
「芹沢先生、所変われば品変わると言いますし、これはお目出度ではなく不吉事ですから・・」

などと、芹沢を諌めることさえしたそうです。
この場合なら、黙っていれば勝手に芹沢の心象が悪くなるのだから、もしも芹沢が『派閥抗争の敵方』ならほっとけばよいでしょう。しかし、それさえもしていないわけです。
このエピソードが何月のことだったのかが書かれていないのが残念ですが、いずれにしても、こんな挿話が存在する関係性と、硬直化した組織内で起こる「派閥抗争」は、ちょっとやそっとでは繋がらない。
もしもそれをやろうというなら、どうしても相応の期間を要するでしょう。
しかし、なにせ芹沢の生存期間は極端に短い。
この時間的要素を薄めて人間心理のほうを色濃く描いた司馬テクニックに、私はまんまとやられていたのだと考えています(笑)








