「攻撃力」と聞いて、どんなことをイメージしますか?
私はつい、ゲームの戦闘値みたいなものを想像してしまいます。

ですがそれを現実世界の ”実務” として命題化され、しかもそれが授業として ”教育” されていたことについて、ちょっと書いてみようと思います。
日常業務に置き換え可能な『秋山真之戦術論集』
日露戦争で有名な日本海海戦。
最終決戦の出撃にあたり「本日天気晴朗なれども波高し」という電文を起草したことがよく知られている伝説的な名参謀・秋山真之。
(正確には司令部参謀が作った文章に、 [本日天気晴朗なれども・・] の末尾部分を真之が付け加えたとされます)

その秋山真之が、日清戦争終了後、まだ34歳の少佐参謀の身でありながら、経験豊富な諸先輩を差し置いて海軍大学校の教官になりました。
そして秋山教官の教科内容は『秋山真之戦術論集』という書籍で読むことができます。
この書籍では、真之が行う物事の分類の仕方や、整理してアウトプットするに至る思考過程が垣間見えて面白いのですが、なにせ分かり易く説得力がある点をとても気に入っています。
思い切って定義することのわかりやすさ
真之さんは「攻撃力」というものに関し、以下のように表現しています。
攻撃力の無形的術力は有形的機力を活用して其潜力を現力に変化し或る成功を為さしむるもの
非常に原理的な物言いですが、その短切さがなんとも小気味よく、さらに文語表現的な韻律と相まって芸術的ですらある。
句読点がないうえ、あまり聞き慣れない言い回しですので、ちょっと分解してみましょう。

まず「潜力を現力に変化」という言い方に新鮮味がある。
今風に言えば「ポテンシャルを引き出す」とでもいうのでしょう。
『変化し』という言い回しも、自身が変わる側の主体として行われるものではなく、対象を ”変わらせる” という意味での使い方をしているところが興味深い。
おそらく現代の我々の言語表現なら『変化させ』という使い方をすると思う。
でも「変化」という言葉の意味としては真之さんの使った『変化し』でも間違っていないはずなので、そもそも「変化」という単語自体が日常語として成熟していなかった事が考えられます。
「日常語の草創期に使われた言い回し」が面白い
真之が海軍大学校の教官になったのは明治35年です。
教科内容として伝える ”言葉の技術” というものが発達していなかったでしょうから、逆に元々の単語の意味には今風の縛りが無く、本来の意味を如何ようにも使いこなすことができたはず。

それゆえ、現代の文章表現なら「変化させ」とか「変化を促し」といった言い回しになるであろうところ、それをせずに『変化し』と表現するのも普通だったのでしょう。
そしてその後 ”変化” という単語が日常語に定着する中で、表現の仕方が画一的になってきて、この真之さんの言い回しは、逆に現代人には通用しづらくなったということなのではないかと思います。
しかし、概念や用語を作り出して共有するという、至ってクリエイティブな教育技術が求められ、しかもそれが必ず実践されなければならない中での種々の言葉選びは、大いに評価されて然るべきことなのでしょうね。
真之さんの授業ではこの他にも、たとえば ”潜力を現力に変化させるための術力と機力の掛け算" なんかが印象強く、それについても書いてみたいと思います。
<続く>








