中学の頃「将来なりたい職業」は漠然としていましたが、「なりたくない職業」は作家でした。
作家だけをピンポイントで恐れていました。
国語の授業で書いた創作文が絶賛され、周囲からも何となく「作家になるんでしょ?」という空気感を醸し出していたから、私も何となく自分は作家への道を歩んでいるように受け取ってしまったのかもしれません。取り越し苦労もいいところです。
当時、星新一さんの作品が最も好きだったので、エッセイなどもよく読んでいましたが、その中で「作家は視野が狭くなる。人付き合いも文壇バーでの交流ぐらいしかない」と自嘲気味に書いていたのが強く印象に残りました。
「自分も、もしも作家になったら、赤坂の『キャンティ』にばっかり行くようになるのか……」
私の発想は実に短絡的で、星さんがよく訪れると書いていた店の名が「文壇バー」であり、そこに固定されてしまいました。
私が恐れたのは、人付き合いがそこまで乏しくなってしまった場合、あとの生活は全て自分で律しなければならないと思ったことです。
そんな自信はなかった。
「勉強しろ」「片付けしなさい」と言われないと行動できない子供の発想そのものですが、やはり毎日会社に行かなければならない職業のほうが良いというスタンスがその時に固まりました。
実に他愛ない話ですが、その頃の私は大まじめにそう考えていました。
当時はともかく現代は、小説を発表するために必ずしも『作家』という職業につく必要はありません。
ビジネスの傍ら小説を書いて発表できるので、自身の活動の中に「小説を書くこと」が含まれている感じです。
中学時代の自分に「取り越し苦労しなくていいよ」と教え、怯えを取り去ってやりたい気分です。