<霞が関勤務だった頃の、いつもの光景>
夜11時ごろ、オフィスは昼間より人口密度が下がるとはいえ、5割から6割程度の常連が残っている。
終電にはまだ時間があるので、急いだ雰囲気は出さぬまま、引き出しの中のカバンを引っ張り出して帰ろうとする私。
視界の隅にその私を捉えた数人。
座ったまま脇にある何かに手を伸ばし、こちらをうかがう。
帰宅のためのバトルが開始される
先鋒、Mくんが立ち上がり「文鳥さん。帰るんですか?」
私:「帰るよ」
M:「あっ、これなんですけど」
決裁書類を差し出してくる。
私:「なんで帰るときに持ってくるんだよ!?」
M:「いや、帰ろうとしてたから」
私:「なんでもっと前に持って来ないんだよ?」
M:「いや、まだ大丈夫だと思ったから」
2人目の刺客H
その様子をうかがうように割って入るHくん
H:「文鳥さん、帰る前にこれ見てもらいたいんですけど」
私:「だから帰るんだって」
H:「これ急ぎなんですよ。明日局長印を捺したいんで」
私:「俺の後に係長も補佐も見るし、庶務のラインからもハンコもらうんだろ。『至急』なんて付箋貼ってたってどうなるかわからんぞ?」
H:「持ち回りします」
私:「じゃあ、俺にも明日持ち回りすればいいだろう」
H:「文鳥さんは今ここに居たから」
私:「今じゃない、さっきからずっといる!」
H:「帰っちゃう前にと思って」
くのいちTの参戦
その様子を、燃える瞳で見つめるT女史
T:「文鳥さん、あたし明日居ないんで、これだけ」
私:「あなたの予定は知らん」
T:「先週言われたトコ、全部直したんです」
私:「じゃあ来週見る」
T:「今週なんとか!」
私:「明日もまだ今週だよ」
T:「後のことはSさんに頼んであるんです」
私:「ならこれも明日Sさんにやってもらいなよ」
T:「いえ文鳥さん居たんで」
私:「そのとおり過去形だ。もう帰るんだよ」
いい加減うんざりする私
私:「なんで君らは俺が帰るときまで手元に持っておくんだ? どうしてもっと早く持って来ない?」
M、H、T:「文鳥さん、まだ残ってるなと思ったから」
何きっかけで業務を進めるんだキミたちは・・
分離不安か? 子供か?
霞が関発、零時13分。
終電の時間を完璧に覚えていた理由は、こんなところにある。
自由への逃走
まれに、彼らの目を盗んで脱出に成功することがある。
部屋を出て駆け出した背後で「アッ!」という声が聞こえる。
エレベーターホールに向かうと見せかけて階段室へ。
厚生省のフロアまで階段を駆け下りてから、エレベーターに乗り込む。
見よ、この周到さを。
ちなみに私は若い頃「織田裕二に似てる」とよく言われた。
事件は霞が関で起きている(四緑文鳥の脱獄事件)。
ついでに他には玉置浩二、中井貴一、ダンカンにも似ていると言われた。
要するに猿とかヒヒ系の顔立ちだ。
ヒヒ顔のまま無事に合庁(合同庁舎)5号館を脱出し、帰途につく。
普段あれだけ切羽詰まった様子で決裁書類を持ってくる連中は、私が逃亡したらどうするのだろうか?
翌朝出勤した私は、椅子の上に積み上げられた書類をつかみ上げて脇のスペースに放り投げ、机上を見る。
裏紙コピー用紙(その辺は環境省職員の自覚があるのか)に大きな下向きの矢印が書かれている。
「椅子に置いた書類を見てください」
キミたちはその熱意を、「就業時間内に業務を終えること」に向けられないか?