張良は「経営企画」
蕭何は「総務」
韓信は「営業」
会社の役職に例えるとそんな評論の対象になりがちなのが『項羽と劉邦』に登場する劉邦陣営の有名な部下たちです。
では将棋の駒ならどうなる?
張良はもちろん「金」
陳平は・・「銀」かな?
韓信は言うまでもなく「飛車」
将棋を論評材料にするなら、韓信は「角」も兼ねていると言ってよいでしょう。
いっぽう「金」には蕭何も該当しそうです。
陳平は「桂馬」だと感じる人も多いと思いますが、晩年の重厚&計略というスタイルを踏まえて私は「銀」としました。
これらの将領の中で、私が好きなのは張良です。
アドバイザーという「あじわいのある」立ち位置
”軍師” や ”参謀” と評されることの多い張良ですが、彼は「戦略」や「軍勢の進退計画」だけを担当していたわけではなさそうです。
いわば、あの時代の処世一般に関するアドバイザーとして劉邦を助けていた人、と言ったほうが正確ではないでしょうか。
張良は部下じゃなくて「劉邦の客」だった
『項羽と劉邦』の小説(上・中・下巻)のなかで、張良が登場する中巻以降、彼が描かれるシーンはとても多い。
そして、司馬さんの文章に惹き込まれて読んでいると、なにやら張良は劉邦の生え抜きの部下のように思えてしまうのですが、それは違う。
とくに序盤の張良の動きをよく見ると、まるっきり違う。
張良は、かつて秦に滅ぼされた韓の国の貴族の家柄です。
その後、時代が一変して秦討滅の一大攻勢が起こる中で、かつての韓が再興されることになる。
その王に推戴した成(せい)という主君に仕えるれっきとした「韓の人」です。
秦を滅ぼして正式に韓の国を復興させ、先祖代々そうしてきたように、韓の王に仕えることが張良の悲願。
彼にとっては、秦を討つ旗頭である楚の国の軍を勝たせることが第一目標。
その計画のいわばプロセスとして、自分の献策を受け入れてくれた劉邦をサポートする役割に就いた、というのが小説『項羽と劉邦』における張良の当初の立ち位置です。
それゆえ彼は「客」と称されている。
「張良は劉邦の ”部下” とはいえない」という事実を認めたくない読者(私)の心理
「客」の身分のまま首都へ攻め入る劉邦軍の参謀を務めた張良。
この時点ではまだ韓信が劉邦陣営にいない。
それゆえ、張良が軍勢の進退に直接関わる描写が多い。
彼の気配りと執拗さが市松模様のように交錯するこのあたりの展開もとても良い。
張良が、激しい戦闘の局面で積極的に劉邦を補佐する姿が生々しく描かれるのは、おそらくこのときくらいではないでしょうか(終盤は韓信の存在感が大きくなる)
やがて楚軍本体を率いる項羽が合流し、論功行賞で劉邦が僻地に追いやられるときも張良は随行します。
ですが、劉邦を送り届けた後は、いよいよ主君である成のもとへ帰り、その側に仕える予定なので、劉邦とはここで袂を分かつことが決定している。
これでお別れ、ということです。
あくまでも張良は劉邦の「客」であり、秦が滅ぶまでのお付き合いですから。
しかしながらこのくだりを読む私としては「張良が成王の家臣」というキャラ付けを、どうしても認めたくない。
いっそ黒歴史にしたい。
やはり張良は徹頭徹尾、劉邦のスタッフであるという体でこの作品を読み進めたくなる。
なんなのだろう、この気持ちは。
「これで終わっちゃうんだよね。アタシたちの協力関係」
「・・そうだね。秦が滅ぶまでって・・俺たち元々そういう『契約』だったし、な」
って、恋愛モノじゃあるまいし・・
この作品の中で司馬さんがやたらと張良を「婦人のような」という系統の描写をするせいだろうか?
ピンチのときに助けてくれる「他の組織の天才」って、なんか憧れますね
張良は秦を滅ぼすときに劉邦の参謀を務めはしたが、それは途中からのことで、劉邦が秦を討つべく楚から出征するときですら、彼は帷幕に居なかった。
劉邦の手元から離れて別行動を取っていたからです。
その時の張良は、あくまでも韓の再興を目指すべく旧韓領で秦の軍隊に立ち向かい、それも自身が戦場に立って指揮を執っているほどで、どう解釈しても劉邦のスタッフではなく「韓の人」と言わざるを得ない。
張良が本格的に劉邦の西進に加担するのは、劉邦が負け込んで秦都への道が阻まれる窮地に陥ってからのことで、それまでの張良といえば、いわば非常勤の取締役みたいな印象です。
完全な命令系統には属しておらず、そういうところもまたアドバイザー的で、常時どこかに身の処し方の自由さが見られるのも、強い魅力が感じられる部分です。
・・と、張良と劉邦の関係の概略を説明したところで、次は司馬さんの想像力がいかんなく発揮された「張良のキャラ創作」について書いてみたいと思います。