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項羽と劉邦 同僚を“上司”と仰ぐ敗北感

現代に語り継がれる歴史的大バトルを繰り広げ、その模様は書籍や演劇にとどまらず、マンガやゲームとして幅広い年代に親しまれるようになった、ふたりの英雄「項羽と劉邦」


項羽と劉邦(上) (新潮文庫)

 

武田信玄と上杉謙信みたいに、最初から当主同士として、それぞれの領土に割拠していた対立関係ではなく、項羽と劉邦は、最初は『同僚』なところが面白い。

 

たとえば、信玄が謙信の人柄を知るにあたり、一緒に行動して直接語り合うといったことはまず考えられません。

 

間に他人を通し、何段階かを経ないとお互いの発言は交せないし、その内容にしても、真実が伝えられているとは限らない。

直接表情や仕草を見、声音を聞くのとは全く違うので、生々しく本音を感じ取ることは不可能と言ってよいでしょう。

 

項羽と劉邦は、項羽の叔父である項梁の部下として、当時の帝国である秦の軍と戦っていました。

 

さらに項梁の上には懐王という、楚の国王に仕立て上げられた人物が居り、王の周りには役職だけで力のない幹部たちがいます。

 

取締役や部長クラスは大体この人たちが取ってしまっていて、項梁もその一人にすぎない立場ですから、その項梁の部下といえば、項羽と劉邦には部長の称号を冠することも、ちょっと無理があるかもしれません。

 

それに彼らは戦闘部隊を率いて敵軍と戦うバリバリの現場勤務ですから、まあ「営業所長」とか、本社ならせいぜい「課長」といったところでしょうか。

 

つまり、営業所長会議とか部内会議のときに、有無を言わさず招集されるメンバーの一員で、隣の席に並んで座っていることがあっても不思議じゃない。

 

時には情報交換もし、たまには互いの功績をひけらかし、内心「なんだよコイツ自慢かよムカつく」とひそかに思ったりもする間柄と言えなくもない。

 

それから、会議で発言を求められて、「うまいこと言ったな」とか「詰められてオロオロしてたな」とか、能力や人柄といった、お互いのパーソナルな情報も見知っている間柄とも言えるでしょう。

 

そんな関係の実力者ふたりが、天下分け目の戦いをした例といえば、日本では関ケ原がそうだったかもしれません。


関ヶ原(上)(新潮文庫)

 

しかし、関ケ原が確執に満ちた長い長い物語のわりに、いざ戦いが始まってからの描写は、実際の戦闘時間が短かったこともあって呆気ないのに比べ、項羽と劉邦の場合は、戦いになってからも数々のドラマがあります。

 

秦の首都・関中に先に入ったほうを“関中王”とするという功名レースに敗れた項羽が、圧倒的な戦闘力で牙をむく『鴻門の会』で、ふたりの同僚関係は崩壊します。

 

その後の論功行賞で僻地へ追っ払われた劉邦が、途中で引き返した時点でふたりの関係は決裂し、完全な敵味方となりますから、項羽が劉邦の「上司」だった期間は非常に短い。

 

「アイツの下でなんて、やってられっかよ! こんな会社辞めてやる!」

 

上司になるや否や、屈辱的人事を発令され、収入も極めて心もとないものにされた。

そんな劉邦に愛想を尽かし去っていく部下に対して何も言えず、去っていく背中を虚しく見送らざるを得ない。

 

そんな境遇に追い込まれ、自棄になって組織を離れた感じですかね。今風に言うと。

 

完全な敵対状態にはなりましたが、その後も項羽の留守宅(城)を奪取して浮かれているところに逆襲を喰らって逃げ出し、別の城に立てこもったらそこも攻められて逃げ出したり、弱い劉邦を強い項羽が追いかけ回す感じで、なんだかトムとジェリーを思い浮かべてしまう展開です。


「にわとり婆さん」「ふんだりけったり」「パパの教育」

 

隣同士の山に拠点を構えて対峙する途中では、捕らえた劉邦の父を殺すぞと脅すが、劉邦は「わしとお前は兄弟同然のはず。わしの父はお前の父でもある。まさか父を殺す気か?」と言い放ち、項羽が仕方なく諦めるなど、家族ぐるみの色合いを見せたりします。

 

さらには「一騎打ちで勝負を決めよう」と項羽が主張し、劉邦は「いやだ。わしは智力で戦う」と拒絶したり、何かと人間味にあふれていたのも、関ケ原の家康・三成にはない横並び的な関係をほうふつとさせます。

 

日本の歴史にも、同僚同士の確執はたくさんありますが、やはりスケール的にこれ以上ないほど巨大だったのは、この項羽と劉邦の関係に勝るものはないのではないでしょうか。