部下や後輩の仕事ぶりが原因で幹部に叱責されたのだが、問題を引き起こした部下や後輩を上手く注意できない。
そんなふうに悩んでしまう方は、結構多いのではないでしょうか
前回の記事は長いのでかいつまんで言うと、実務レベルが高く、密かに上司を見下していた部下が、役員会で大恥かいた上司から叱責されたことがきっかけで関係が崩壊し、その職場全体を巻き込んだ環境悪化を引き起こしてしまった、という話でした。
(前回記事はこちら↓↓↓)
「身内に対する注意」は、ハッキリ言って『業務スキル』の域を超えている
私のカウンセリング心理学の師匠(といっても私はただの受講生ですが)、日本メンタルヘルス協会の江藤信之先生が講座の中で、奥様のカウンセリングが辛いと話してくれたことがあります。
東奔西走で忙しい先生が家に帰ると、どうも妻の様子が変だ。
表情に乏しく、会話もギクシャクする。
どうやら、かなり不満がたまっているらしい。
このままではマズいことになりそうだ。
すぐに解消しておかねば。
プロのカウンセラーとして、その腕前を発揮すべき時だ。
家で話すより場所を変えたほうが良いだろうと近所の喫茶店で、妻を相手にカウンセリングを行う。
しかし、さすがの先生も、このときばかりは勝手が違う。
講座で我々に教えている「アクティブリスニング」などの技法を使って、口の重い妻の気持ちを解きほぐすべく対話を重ねる。
「なるほど。大事なその話を簡単にあしらわれたようで傷ついたっていうことだね?」(オレのことや(・_・;))
他人ならともかく、クライエントの不満の原因が自分自身であるため、傾聴技法を駆使すればするほど、自分の実力が我が身に跳ね返ってきて切り刻まれる羽目になる。
(あん時かぁ~! ちょう待っとくれ。確かにそうやったけど、だから俺いっぺん聞いたやんか『他になんかある?』て)
(いやあれ、この人(自分の妻)、『ついで』みたいに聞こえたんかなぁ~・・・そやなかってんけどなぁ~)
冷や汗をかきつつ、そして不本意ながらも自分の反論はその時は完全に押さえ込み、傾いた妻の気持ちを水平に戻すことに全力を尽くす。
・・・
プロのカウンセラーでさえ、身内の気持ちをケアするときには、これほど消耗するようなのです。
たとえ先生のほうから伝えて理解させたいことがあったとしても、第一のフェーズでは、到底『諭す』というところまでは行き着かない。
立派な建物を建てるには強い地盤確保が必須
良き家庭生活を作っていくうえでの創造性や発想力は、安定した感情を土台にしたときに最も効果を発するので、家族の心のケアは大変に重要です。
いったん心が傾いてしまった状態で、うかつなコミュニケーションを試みてこじらせると、近い立場の人ほど悪循環に陥るからです。
せっかく、共に時を過ごす大事な家庭をより良きものにする『仲間』でありながら、その『仲間』が最大の障壁になってしまう。
家庭の中でこれが起きてしまった場合、修復は至難の業でしょう。
人の心のプロであるカウンセラーが全力を出してすらこうなのですから、我々素人が自力で立て直すのは、もはや運に頼るほかないかもしれません。
同じように、職場においても近い存在であればあるほど、本来は協同すべき関係にもかかわらず、マズい方向へこじれていくことがあります。
視野が狭いから優越感に浸る部下、
視野が広いのに部下にあしらわれる上司
上司や先輩は、部下や後輩よりも経験を積んでいることがほとんどでしょうが、それによって得ているアドバンテージはあくまでも“業務スキル”であって、対人関係のスキルが必ず身に付いているとは限らない。
経験年数に騙されて、「後輩をじょうずに指導する義務が“当然”あるはず」と思ってしまう先輩は多いと思いますが、「知識の伝達」と「修羅場での立ち回り」は明確に区別する必要があります。
また、「修羅場に至る“兆しの読み方”」なども、習得していないことが罪悪というわけではありません。
前回記事での引用部分で言えば「ITスキルが高いから、自分は上司より優れている」という部下の思い込みがそれです。
しかも、この部下はその密かな優越感を隠しています。
さらにもうひとつ、「自分が担当する業務知識の記憶が、上司よりもとっさに出る」という、当たり前の事実に優越感を持ってしまっている勘違いも、彼が上司と揉めてしまう“兆し”です。
(普通、上司ははるかに広範囲の業務をマネジメントしているので、局部的な知識は部下のほうが上回って当然です)
これを「亀裂の前兆」と捉えて問題を未然に防ぐことができるとしたら、竹中半兵衛か張良かといった軍師レベルの人間観や想像力が必要でしょう。
また、事態が起きてすぐに勘違い部下を論破し、天狗の鼻をへし折るディベート術なんて、弁護士じゃないんだから、単に会社の業務経験年数とか役職だけで容易に得られるものではない。
だから、「叱れない」とか「人間関係に厄介なしこりを作ってしまった」とかいうのは、決してあなたが責任を感じて自分を責めなければならないという証拠にはなりません。