私もたしか中学生の頃だったか、川越近くの友達の家に遊びに行き、場末の中華屋へ入ってラーメンを食べたことがあります。
- ラーメン1杯を200円で出していた川越近くの中華屋
- 大正15年の場末のラーメン屋を想像する
- ラーメン1杯を400円で出していた神保町のラーメン屋
- ギョーザ1皿250円は、ラーメンより高いので悩みに悩む
ラーメン1杯を200円で出していた川越近くの中華屋
外食の経験などほとんどなかった頃、とてもセンセーショナルな経験だったため、殊に強く記憶に残っています。
カウンターに腰かけて慣れぬ手つきでメニュー (↓↓↓こんな感じ)を手に取ってみると
タカ印 ポップスタンド卓上メニュー立 34-2820 T型 中 透明 ペット樹脂
「ラーメン200円」
昭和50年代のことですから、今より安いのは当然です。
大正15年の場末のラーメン屋を想像する
大正15年が舞台だった作品中で、洪作の食べていたラーメンはいくらだったのだろう?
このシーンでの洪作の軍資金のでどころは、友人の遠山です。
彼は柔道場で腰を痛めて動けず、洪作に自分の食料調達を託します。
桜あんぱん 15個 (5個入×3袋) こしあん あんパン お取り寄せ ナカダのパン
アンパンを買って来てくれと頼まれた洪作は「俺のラーメン代ももらっておくぞ」と一声かけて数枚の硬貨を持ち出しています。
当時と今では感覚が違うし、舞台も沼津ですから、東京との比較では色々と違う点も多いでしょう。
ラーメン1杯を400円で出していた神保町のラーメン屋
ちなみに、私が川越のラーメン屋で200円ラーメンを目にしてから数か月後。
同級生たちと自転車で神保町かいわいを走っているとき、友人のうち数人がラーメンを食べると言いだしました。(多分中学3年のころ)
まだ家族と一緒でないと、お店に入っては食べない年代なので、外食に抵抗のある友達は即座に別行動を決定しました。
私は、お腹は空いていましたし、ラーメンなら川越で外食したことがあるので店の前まで行き、値段を見て顔色を変えました。
「ラーメン400円」
即、断念。
(高すぎる)
川越の中華屋で見た「ラーメン200円」が、私の中ではスタンダードになっていた。
400円なんて、とても払う気になれないと驚いたことを思い出します。
でも、都心では普通の価格設定だったのでしょうね。
ギョーザ1皿250円は、ラーメンより高いので悩みに悩む
この作品での洪作少年は、ラーメン2杯を食べ終わると店を出ますが、自転車を借りに行った友人・藤尾の家で、たまたま帰省していた彼とばったり鉢合わせます。
「どこかで腹ごしらえして行くか」
藤尾の言葉で、再びさっきの中華屋へ入りメシを食う。
店主はあきれ顔です。
藤尾はチャーシューメン、洪作はシューマイを注文します。
このシューマイの値段も、大いに気になるところです。
なぜなら、私が川越の中華屋で忘れられないもう1品がギョーザだからです。
「ギョーザ250円」
カウンターにラーメンとギョーザが並ぶ光景は、豊かさの象徴。
そうしたいのはやまやまですが、それをやると450円になってしまう。
この中華屋の高級料理「チャーシューメン(500円)」に匹敵する出費は、中学生にとってあまりにも重たいものです。
お腹と財布との3者会談に全精力を費やした結果、妥協案として
「ラーメン大盛り(300円)」
が採用されることになります。
中華屋でのこの苦悩が頭をよぎるので、この時に洪作が注文したシューマイの値段を知りたい気持ちを呼び覚ますのです。
なんと生きた文学作品であることか……