【感情会計】善意と悪意のバランスシート

財務諸表から逆算で人心を読むテクニック

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パパから娘へ贈られた「最良の文脈」

こんにちは。感情会計エモアカの四緑文鳥です。

 

昨日銭湯で、パパと一緒に来ている小っちゃな女の子を見ました。

風呂上がりでソファに座るパパの膝の上で、今風の小ぶりな牛乳瓶を両手で抱えるように持ち、口の周りを白くしながらおいしそうに飲んでいる姿は、騒然としている世情の中に見た一服の清涼剤のようでした。

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その姿を見たとき、20年くらい前に見た、これもやはり風呂上がりの父娘の1つの光景が脳裏によみがえりましたので、それについて書いてみたいと思います。

 

 

フラットさがあふれる会話

当時の私はまだ20代だったと思いますが、葛飾区にあったクアーズ旭という健康ランドへ行き、ロッカー室で衣服を脱いでいた時のことです。

 

記憶が曖昧ですが、未就学から小学校低学年くらいの女の子が浴場から上がって、弾むような足どりで私の視界にピョコンと現れ、満面の笑みで後ろを振り返り「気持ちいいねぇ!」と嬉しそうに言いました。

 

その子の後ろから歩いてきたお父さんが、これも娘に負けないくらい満面の笑みで、娘の顔と同じ高さまで身をかがめて「気持ちいいねぇ!」と返し、嬉しそうに笑うチビちゃんと並んでロッカーのある場所へ向かいました。

 

「与える」と「共に感じる」の違い

こう書くと異質な感じがするかもしれませんが、「気持ちいいねぇ!」とはしゃいだチビちゃんの後ろからやって来たパパの姿を見たとき、反射的に私の頭の中に浮かんだ文章は「気持ちいいだろう?」でした。

 

これは、当時まだ若い私の頭の中では、習慣的に自分の父親のイメージを重ねて次の言葉を予想したからです。

 

しかし、案に相違して(?)私の前で娘に言葉を返したそのパパが発した言葉は、娘と全く同じ「気持ちいいねぇ!」でした。d(>_・ )グッ!

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合わせた目線の高さが示すように、その一瞬の気持ちも同じ高さで、同じことを感じていると伝える父親。 

 

多分この父娘の会話の文脈は、すべてこれが基準になっているのだな、と

発声の仕方でわかる「性格の明るさ」

私は、他人の発声の瞬間や、1つのセンテンスを出し切るまでの揺らぎを感じ取ることが多い。

特に手相鑑定をしていた頃などは、相手が口の形を作る際の筋肉の動きを感知してから、それが実際に声として出てくるまでの「間」の存在までを情報として捉え、役立てていました。

 

そんな私が何気なく聞き取ったそのチビちゃんの声には、親の顔色を窺うような暗い引っ掛かりが一切なく、嬉しいという気持ちを最短距離で伝える力がありました。 

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こういう子がいわゆる「明るい子」として認識されるだろうという見本のようでした。

 

頭は良いかもしれないけど、なんか友達にはなれないタイプ

親の顔色や機嫌をうかがわないといけない環境にある子の場合、どんなに心が浮き立ったとしても、まず「今のタイミングで発声してよいか」を感知することから始まります。

 

次に「しゃべっている途中で、親の顔色が変わったりしないか」を注意深く敏感にモニタリングしながら、話すセンテンスを完了させます。

 

何かを感じてからのレスポンスが遅いことは、平たく見れば「気持ちの発露の遅延」であり、ふつうは「明るい子」の定義にはない要素です

 

しかも、気持ちを出すことよりも、相手の反応を窺うことにエネルギーを使っているため「伝える力」が弱くなる

 

自然と「気持ち」よりも「理屈」を届かせるスタイルでの人間関係が身に付きやすくなる。

「印象」より「エビデンス」のほうが重要という価値観です。

 

人生の難易度を上げている気がしてなりません。親がね・・

 

「能力と性格は分けても良い」という教育ができる性格とは

学校であれ会社であれ、上下関係が存在し、ほとんどの人はその中を渡っていかなければならないので、TPOをわきまえる能力は、必然的に求められるケースが大半です。

 

その意味で、早くから子供に顔色をうかがわせていた親は、言いようによっては「TPOのわきまえ方を教育してやった」と言えるかもしれません。

 

加えて、何段論法になるのか知りませんが、気持ちを伝えるのが苦手であることの補完として「理屈を伝える力」が身に付くかもしれません(その子の理論化能力や文章構成術しだいですが)。

コミュ力とは、理屈の伝達力のこと? それとも人柄の伝達力?

ですが、家庭内での人間関係が「TPO(主に親の顔色)」と「無難な理屈を伝える能力」の養成に偏ったら、社会に出て役立つもうひとつの大事な要素「気持ちを伝える力」は、極めて脆弱になる可能性があります。

 

そして残念なことに、親自身はそのことに気づかず ”人間性全般” の養育を与えていると思っているケースが多く、それが冒頭の「気持ちいいねぇ!」の応酬ができる親子と、与えてやっている感が否めない「気持ちいいだろう?」の文脈の違いに表れている場合があるから、言葉の使い方や発声の特徴が無視できないなというのが私の持論です。

 

感謝できる時期が遅いと寂しい人生になる。親も子も・・

親の顔色を窺わないと身に危険を感じる子供の多くは、おそらく本能的にそれを感じ取り、自分の気持ちを素直に出す心地よさや自然な心の触れ合いについては、家庭ではなく友達との関係とか、親せきなどを含めたよその家「疑似家庭」みたいな経験を積み、長い時間をかけて曲がりなりにも身に付けるのでしょう。

 

そうなると、その子がこだわりなく親に感謝できる年齢というのは、平均よりもかなり遅めになるのかなという気がします。

 

「もっと早くに親孝行していればよかった」と、将来子供が嘆かないための会話文脈・・

健康ランドで出会ったあの父娘は、約20年後の現在では環境も大きく変わっていると思いますが、きっと当時と同じように、会話文脈の底流に伝わる気持ちでつながっているのだろうなと感じた記憶でした。

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