【感情会計】善意と悪意のバランスシート

善と悪の差し引き感情=幸福度

自信があれば部下を叱れるのか?

 人間は感情の生き物。

『上司』という立場になれば感情から解放される、なんてことはない。

 

マニュアルに書いてあることなら、読めばわかる。

しかし

どんな気持ちで『書いてあること』をすればいいのだ?」

 

 

手法だけ書いてあるマニュアルさえあればよいのか?

業務上で何かしらの事柄をするとき、その作業時の『気持ち』までを書いてあるマニュアルというものは、私も見たことがありません。

物事の感じ方は人それぞれということで、ある一例のみが絶対ではないから書かない、というのが一般的なマニュアル思考だからでしょう。

 

唯一、そういう特異なマニュアルは「手のひらのDB 父たちの担いだ神輿」という小説の中で見ることができます。

主人公のところに相談にやって来た、北海道株式会社と名乗る男の会社において、苦労人の社長が作ったものです。

(ちなみに「手のひらのDB」は私が書いた作品です)

 

「叱り方マニュアル」は『強い性格の持ち方』?

諍いを起こしている部下たちに接していく場合、「立ち位置は何メートル以内」「声のトーンは一定で」とかいったハウツーがどれだけ詳細に書かれていても、実行時には頭がパニックになる人も多いでしょう。

  

blog.dbmschool.net

 

仲裁者がオロオロしていると、事態収拾の成功率は著しく低下し、完全にイチかバチかのギャンブルになります。

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bBearさんによる写真ACからの写真

 

素人が行う諍いの解決なんて、もともとギャンブルみたいなもので、たとえ落ち着いて接することができたとしても、部下個人の性格や、その時の体調とか気持ちの昂ぶり具合によっても結果に差が出ます。

 

学校の授業でする化学実験みたいに、結果が一定するはずの事柄だって、肝心の実施者がオロオロしていたら失敗の確率が上がってしまうというのに、激情の渦に異物を投入した場合の不確定な反応への対処など、むしろ失敗することを前提に思考したほうが良いかもしれません。

 

悩みごとは「自分を変えるの? or それとも変えないの?」の問いかけ。
正解は「決めること」で、回答自体はどっちでもよい。

「性格が強くなれば、もっと良くなれるのに……」

という声は多く聞かれます。

 

どこで聞くかというと、手相鑑定をしているときによく言われる(た)のです。

 

でも、「性格が強くなる」とは、具体的にどういうことか?

非常に漠然としています。

 

 

占いでこの問題にアプローチしても答えは有りません。

というか、無限に出るので決め手がないのです。

いや、占い師のさじ加減で決められます。

 

要は、悩みの発生をきっかけに「自分は変わるべきか?」と自分に問うている状態なので、その問いかけにプレッシャーを感じて焦っているだけのことが多い。

 

「変える」も正解だし「変えない」も正しい。

正しくないのは「決定しないこと」なだけです。

 

持ち越される「性格の弱さ」

無意識に自分自身に「イエスかノーか?」を迫っていて、そのプレッシャーこそが「漠然とした悩みの正体」だった。

 

そんな場合、結果がどちらにせよ一応の答えを出すと、現実に変化が無くても悩みが解消してしまうことは多い。

 

それに伴って「性格が強くないことに悩んでいる状態」は自然消滅します。

 

あれだけ「性格が強くないから…」と嘆き憤り、自分を責めていたはずなのに、実のところ『強い性格』というものは、不断の努力を払ってまで手に入れるほどの価値を有さないのか?

 

おかしいですが、仕方ないですね。

そもそも、「強い性格」というのが漠然としていますしね。

 

あの人みたいな性格の強さが欲しい?

あなたが、特定の人をモデルに「強い性格」を定義しているとします。

 

ということは、ある特定のシーンの出来事を見て、性格の強さと結びつけたのでしょう。

ただ、あなたが見たのは“出来事”であり、その憧れの人が、本当に性格が強いことは立証できていないと思います。

 

それでも、モデリングの対象として、ここ一番のときは「〇〇さんになったつもりで」と考えるのは悪くありません。

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fujiwaraさんによる写真ACからの写真

 

ただ、できれば “あなたはあなたのままで” 実行するのが最も良いと思う。

 

他の誰かがするわけでなく、あなた自身がする状況になった以上、代わりはいない。

 

「もちろんそれはわかってます。でも、どうしても自信が無いんです!」

 

ワカルワカル。

「自信に代わる『何か』」が、どうしても必要ということですね。

 

部下に対する毅然とした態度の背景に、概ね「自信」をイメージする人は多いでしょう。

それが無いなら当然『何か』で代用したい、と。

 

「自信」は若さの大敵?

「部下に毅然とした態度で接するために、あらかじめ自信を持ちたい」と思う気持ちはもっともです。

きっと、自信の有無によってあなたの立ち居振る舞いは変わるのではないかと思います。

 

ただし、自信というものは、持てるようなら持っていて良いですが、決して必須アイテムではないので、もしも手に入らないようなら速やかに持ち物リストから削りましょう。

 

「なかなか得られない状況だが、それでも手に入れなければならない」と思ってしまう時、 “自信” というのはあなたの足を引っ張る存在になりますので、このことを決して忘れないでください。

 

というのは・・・

自信さえあれば、たとえばあなたは部下の揉め事を決着させられるのでしょうか?

自信なんて、そんなに誂え向きのアイテムじゃありません。

にも拘らず、あなたに強い切迫感を与えて苦しめるからです。

 

それに、自信というやつは、一度でも手にした経験を得てしまうと、その後はTPOをわきまえずに付きまとってくるストーカーみたいなヤツです。

 

あなたが気づかないうちに「過信」に変質し、失敗の元になることもあるでしょう。

 

また、年を取るごとに時が経つのが早く感じるのは、新たな経験に心が沸き立つ機会を失うからだと言われますが、そこにはこの“自信”というヤツの存在が疑えません。

 

むしろ「自信」は人間を老化させる。

逆に、あれこれと思い悩む弱い性格は、若さと創造力の源。

 

揉めている部下を見てオロオロしている自分に気づいたら、「私は若い!」と、まずは心を弾ませてみましょう。

 

『自信』なんてチョロイ。

私なら自信よりも『若さ』を取る!

 

時と共に失われてしまう若さと、時間さえ経てばそのうち得られるかもしれない自信が目の前にあったら、あなたはどちらに手を伸ばしますか?