【感情会計】善意と悪意のバランスシート

善と悪の差し引き感情=幸福度

コロナ後の倦怠感に関する雑感

「倦怠感」という言葉は昔からありますが、その意味まで詳しく知っている人は、実はあまり多くないのではないかと思っています。

 

げんに、今誰かに「倦怠感についてレポート提出しなければならないんだけど、どういうことなのか教えてくれない?」と言われたらどうか?

 

私自身も、簡単な定義すら、自信を持って話すことは難しい。

何だかんだと誤解を生むことにもなりかねない。

文章に落とし込んで第三者の目に晒されるとなればなおさらのことです。

 

ましてや、実際に自分の体に起きている不調と、「倦怠感の定義」を正確に結びつけて現状把握することはもっと難しい。

 

 

けっこう頻繁に使われるようになった「倦怠感」という言葉

 

コロナが蔓延し、その症状が実はかなりバラエティに富むものであることが知られるにつれて、後遺症についても同様だということが判明してきました。

 

その中でも味覚障害や嗅覚障害は、自分がそうなれば明確に実感できるし、他人に説明しても理解されやすい。

 

それから、頭髪が抜けてしまう症状などは、他人から見てもはっきり認識できる。

いずれも説明は極めて簡単です。

 

意味は分からないが、認知度が上がったから通じる曖昧な単語

しかし「倦怠感」というやつは、他人から見たら、まあわからない。

 

「元気がない」などと思ってもらえるのは、身近で比較的好意的な関係性の中ならありえるけれど、そうでない場合や、そもそもコロナから復帰したことが知られていないならば、「暗いやつ」「やる気が無いやつ」と見られてもおかしくない。

 

そして「倦怠感」というやつは、自分から見ても分かりづらい。

これが曲者です。

 

体調不良でうまく働けない場合の説明責任

なんとなく体調が悪い場合の『説明責任』は極めて重いことがよくある。

 

責任を痛感しております!

と叫ぶと不思議なことに何でも許された元総理が居ますが、こと”説明責任”においては、我々庶民が職場や家庭で体調不良な場合の責任よりも、遥かに軽く感じてしまうのはなぜだろう・・

安倍前首相の弁明 責任「痛感」聞き飽きた | 中国新聞デジタル

 

www.youtube.com

 

あの総理発言は、どうやら声量に秘密があるらしく、声を大きくすればするほど、許される罪もそれに比例して大きくなるらしい(比例大声制度)。

 

それから、前回の発声が次回発声を後押しする推進効果もあるらしく、繰り返すほどに威力が増大する性質もあるようだ(声襲制による威力拡散)。

 

退任直前の頃の国会では、あたかも選手宣誓のごとき大声を発し、国会の中心で痛感を叫んでいたので、両効果が相まって、長い長い在任期間での総決算が黒字になる程の許しが得られたことでしょう。

 

それならば、おそらく我々が体調不良の場合の上司や同僚に対する説明責任は、相手の鼓膜を破るくらい大きな声で、数え切れないほど繰り返し叫ばないと果たせないと考えたほうがよいようだ。

 

職場において、なんとなくの有効期限がある『後遺症』という単語

コロナ感染後、熱や咳などの主症状は去ったけれど、身体がだるく、頭もスッキリせず、万事やる気が出せずに気持ちも後ろ向きになり、元通りの社会生活が送りづらくなっているという人は多いと思います。

 

かろうじて出社はできても本調子には戻れず、ハードに働いていた人は気まずい思いや焦りに苛まれる。

 

愛嬌たっぷりなキャラクターで通していた人は、最大の魅力に影が差してしまい、心配してもらえるのは嬉しいが、これがいつまで続くのかと不安に苛まれる。

 

「コロナ後遺症」という便利な言葉はあるものの、これには自ずと賞味期限があり、言い訳するほうにとっても聞かされるほうにとっても、この単語を美味しくいただける期間は、その場を取り巻く情勢や人間関係によっても違いがあり、一概に判断することができない。

 

「倦怠感」は ”後遺症の有効期限内” でご利用ください

 

倦怠感という単語は、本人の強い自覚とは裏腹に、聞かされた側の他人にとっては想像や理解の範疇にないため、各人が想定する「このくらいの日数なら後遺症だな」認定に通らないと、その効果は急激に薄れます。

 

認定外の倦怠感は「怠け者」「使えないやつ」「やる気がない」などの直接攻撃の対象になっているうちはまだマシなほうで、「大変そうだから」とさり気なく業務を引き継がれてしまったり、新人を投入されたり、別の部署からの応援メンバー加入といった消極的排除法が適用され始めると、かなりヤバい。

 

手っ取り早く体調不良に正当性をもたせられるのは、医師が発行する診断書ということになるけれど、持った正当性が本当に力を発揮するのは労働裁判でハラスメントや不当解雇に抗するときくらいしか私には思いつかない。

 

そこまでこじれてしまったら、修復の目処もちょっと考えづらいし、そもそも仕事できないくらいツラいのは真実のはずで、そんな体調では争議を起こすのだって相当に負担でしょう。

 

ならば、やっぱり一番確実なのは「倦怠感を和らげる手段の実行」ということになる。

 

(続く)