阿刀田高さんの『わたし食べる人』では、冒頭からこれでもかとばかりにパワーワードが連発されています。
一気に読めてしまう部分なので、ひとくさり引用してみます。
ことの起こりは、太り過ぎが原因だった。
三十歳を過ぎる頃からタナカ氏は急にズボンがきつくなり、みるみる下腹に肉がつきだした。
太るのは、たくさんものを食べるせいである。
たくさんものを食べるのは、欲求不満のせいである。
ほかにこれと言って楽しみがないものだから、つい、つい、欲望が食べ物のほうにばかり向いてしまう。
『わたし食べる人』は、【冷蔵庫より愛をこめて】という小説本に掲載された34ページの短編です。
元祖・チートデイを描いた小説
私がこれを読んだのは、中学1年生か2年生のとき。
身長175センチほどで、体重が56〜57キロ、陸上部で毎日練習していた時期の私には、阿刀田さんが繰り出すKOパンチの連打も全く響かず、冒頭部分はあっさりと読み飛ばしました。
しかし、中学生の私に響いたたった一つのパワーワードが、その後数十年間、この作品のことを忘れさせなかった。
あらためて最近読み返しても、他の話は ”ほとんど” あるいは ”まったく” 覚えていないのに、『わたし食べる人』だけは唯一、広い海域にニョッキリと頭を出した小島のごとく、いつでも記憶に新しい存在でありました。
『鴨の風呂敷』と名付けられた大人気の料理とは
そのパワーワードとは、「鴨の風呂敷」
タナカ氏が訪れた北都飯店という中華料理屋で注文したメニューの一品です。
「鴨の風呂敷」というのは正式名称ではなく、どうやらタナカ氏が命名した愛称のことで、正式には北京烤鴨(カオヤーズ)と言うらしい。
中学生の頃の私は、何故かこのくだりに惹きつけられた。
わざわざ独自の愛称をつけただけでなく、店員から「今晩は鴨の風呂敷がおいしいです」と勧めてもらえるほど店側にも浸透している人間関係の面白さにも、ちょっと憧れたことが記憶に残っています。
大好きなものを、好きなだけ食べてよいとき、大食漢はいくつ食べるのか?
好きなだけ食べて良い状況下に置かれたチート状態のタナカ氏は、今晩こそは自分の体重に忖度することなく、とことんまで鴨の風呂敷の美味を堪能します。
いつもなら二つか、三つ食べておしまいにするのだが、舌の上に広がる乾いた脂肪の味に誘われて、七つ、八つは食べただろう。
鴨の風呂敷一個の大きさが、読んでいる私の頭の中で、ひたすら謎めきながら浮かんでは消える。
二つか三つでおしまいにする、という記述から、やや小さめなのだろうか?
でもタナカ氏は90キロの大食漢だし、そんな人が二つ三つで済むのならそこそこ大きいのだろうか?
思う存分食べても七つか八つだったというから、やっぱりそれなりに大きいのかな?
そもそも ”風呂敷” って、どんな形状をしたものを、タナカ氏はそう名付けたのだろう?
この想像が頭から離れなかった当時の私は、作中でされている説明を読み解くよりも、ただただ成形を夢想していました。
「鴨の風呂敷」の謎解き
どんな料理かということは作品内で説明されているので引用してみましょう。
焼き鴨の皮を薄く剥ぎ取り、それを生ねぎやタレといっしょに小麦粉の薄い焼き皮に包んで頬張る。
北京ダックを食べたことがある人なら、烤鴨の文字を見ただけですぐに分かるのかもしれない。
(私は食べたことがないので上の引用文を読んだだけだと全然ピンとこない)
北京焼鴨 北京ダック ペキンダック 丸ごとローストダック 北京料理 宮廷料理 冷凍食品 1羽
しかし、阿刀田さんがわざわざ「北京ダック」という言葉を使わず、食通の主人公をして、この料理を独自性を持った一品として手探り的に表現しているのはなぜでしょう。
北京ダックの先取り作品だったのか?
【冷蔵庫より愛をこめて】は1981年に刊行されています。
昭和でいうと56年。
表題作である「冷蔵庫より愛をこめて」が雑誌掲載されたのが1978年ですから、この『わたし食べる人』はその前後に発表されたはず。
仮に短編集用の描き下ろしだとしても、当然刊行前に書かれているので時代背景にさほど大きな差はないでしょう。
当時の一般人が訪れるお店で、北京ダックを出すところがまだそんなに無かった時代なのでしょうか。
そう思って調べていると、食べログのこんな記述を発見!
日本で初めて北京ダックを紹介した老舗の北京料理専門店
肝心の北京飯店のHPでは、歴史が古いことは語られているが「日本で初めて」みたいなことは書かれておらず、看板メニューである北京ダックはいつでも自信を持って提供する決意にも似た、それでいて控えめな文章が綴られています。
阿刀田さんはおそらく、このお店をモチーフに「北京飯店」を「北都飯店」ともじって書かれたのではないかと推察しています。
しかし、今回この記事を書くにあたって初めて烤鴨(カオヤーズ)のことを調べ、作品中で描かれていたのがどうやら北京ダックらしいことに気づけました。
おまけ
いつものごとく、小説の話の展開に全くふれない書き方となりましたが、ついでにもうひとつ、私がこの作品の中で好んでいる描写をご紹介します。
無双状態のタナカ氏が第1日目に訪れたのは、築地の江戸金。
これは私でもわかります。『江戸銀』のもじりですね。
ここでタナカ氏が最初に注文するのが大トロなのですが、このときの描写ときたら、当時刺身類が全く食べられなかった私ですら「これは美味しそう」と思ってしまった阿刀田さんの名文です。
今にも千切れそうな薄桃色の肉が、数珠繋ぎになってシャリの上に垂れている。それを散らさないように用心深く捕らえて醤油をつけると、小皿の紫の表面にサッと脂肪の玉が浮く。それが静かに崩れて不確かな文様を映した。
「こいつは・・トロトロのトロだね」
「へえ。いいタネが入りました」
寿司といえば干瓢巻きと玉子、そしてアナゴしか食べられなかった中学生当時の私でも、この阿刀田さんの文章を読めば、醬油の上にサッと散るマグロの脂肪の映像がありありと脳裏に浮かび、しかもそれが美しく、そして美味を表す様子がリアルに感じられた。
トロを知らなくても、「トロトロのトロ」とはどんなものなのか、それなりの想像ができるほどのものだった。
いやぁ~、お寿司食べたくなりましたね。