前回記事で、田布施町職員がパワハラを受けている疑惑があるニュースを取り上げました。
実はこの事件(?)を見たときに、ある本を思い出しました。
この本の中の「第九章 誰も責任を取らない戦争指導」に、似た印象の話がありました。
著者の保阪正康さんが、昭和58年頃に取材のため話を聞いた、大本営(陸軍)の情報参謀だった人のエピソードです。
この参謀が、まさに「正しいことをして孤立した人」だったようです。
今般ニュースになった田布施町の件では、内部告発した人のことを“職員”と称している記事が多いと思います。
一方、保阪さんはこのエピソードを書く上で、この元軍人のことを“情報参謀”という表現でほぼ統一していて、何やらオーバーラップするものを感じます。
「 都合の良いことが『正しいこと』という同調圧力」
太平洋戦争の末期に『大戦果を上げた』と軍部が狂喜した台湾沖航空戦で、「間違ったこと」が行われていた。
教育を受ける暇もなく戦場へ飛んだ、経験の浅いパイロットたちが、次から次へと事実誤認の成功報告をしてくる。
しかし、受けた側が確認もせずに軍令部(海軍)に打電している様子に、この情報参謀は肝をつぶします。
(大戦果なものか。こんな誤報をもとに次の作戦を立てたら、とんでもないことになる)
彼は、自分の所属する陸軍本部に打電する。
「海軍の台湾沖での戦果は疑問がある。実体はない」
これで、彼に課された任務は終わりです。
それ以上のことをすれば、専横になります。場合によっては軍令違反にもなりかねない。
しかし彼は、どうしてもそれだけでは済ませられなかった。
ゆえに、一文を追加しました。
「徹底して調査のうえ、吟味して作戦計画に生かされたし」
彼は“事実の報告”の埒外のことまで打電しました。
このあたりも、固定資産税の徴収ミスを、上司に報告した田布施町の“職員”の行為に似ている気がします。
ひょっとしたら、この30年の間に、そのことに気づいた担当者がいたかもしれない。
でも問題にしなかった。
ただ、この職員は黙っていられなかった。
そして、これらの報告が全く取り上げられなかった点も似ています。
ちょっとだけ自治体の肩を持つ独自意見
ちなみに、私は小規模な市役所とか町村役場には同情的な立場なので、ちょっとだけ違う視点から書きます。
田布施町の場合、ミスの隠ぺいは当然やってはいけないことですが、これは恐らく「あくまでもミス」だったと思います。
町民の財産搾取目的で悪意ある計算をしていたわけではなかったでしょう。
「多数の死者が出る有事で膨大な緊急予算が付くから、中抜きしておトモダチの懐にねじ込もう」などというのとは絶対に違っていたと信じています。
また、
「○○町は規模が小さすぎて、県としてのメリットが小さいから、そこまで便宜を図る気はない」など、県の担当者が町長を目の前に侮辱的発言をするような品性の無さとも違います。
(環境省職員の頃、霞が関でこの場面に居合わせて、本当に嫌な気分になりました。具体名は上げないけど私はその町の担当者と一緒に、立ち上がったばかりの施設運営に力を注いでいたので)
田布施町の役場でどんなことが行われていたのか、当事者以外には知り得ないことが多い。
でも、大政治家を生んだ歴史ある町で、誇りを持って生きている方が多いと思いますし、個人財産の侵害を許せないこの職員や、見ないふりをしなかった町議の方などもいます。
なんとか、コロナ禍の中で頑張っている職員の方々が、安心して住民サポートを行える環境になりますように。