海軍の杜撰な情報管理によって「大戦果」と誤報された内実を知る陸軍の情報参謀が、すっかり誤報を信じて戦勝に湧くマニラの方面軍本部に行き、「イエスかノーか」の強圧的外交で知られる山下奉文(やましたともゆき)司令官に「不都合な真実」を告げます。
現政権みたいな 狂った精神主義が末期症状を呈していた戦局終盤の頃ですから、上級幹部である司令官に「味方の攻撃が、敵にはほとんど効いていない」という報告などは極めて危険なことと言えるでしょう。
「検察官の定年延長を強行採決するなら自分は退席する」と伝えてすぐさま内閣委員を解任されたり 大和魂を持たぬ恥知らずな腑抜けのそしりを受けて左遷されたり、前線に送りこまれて死を与えられたりしてもおかしくはない。
不都合な真実を報告する部下を受け入れる
情報参謀の報告を聞いた、山下氏は一言発します。
「わかった」
そしてさらに
「たぶん君の言うとおりだろう」
著者の保阪正康さんは、山下氏は現地で指揮をとりつつも、中央の作戦本部がいかに疲弊しているかを充分察していたのだろうと書いています。
決して猪突型の帝国軍人ではなかったことが、この情報参謀への対し方に表れています。
そして、彼に真実を伝えた情報参謀の今後を予測したためか、山下氏は大本営からの出張扱いで現地へやって来た彼を「転任させてほしい」と運動し、昭和20年1月までですが、自分の参謀の立場を与えます。
不都合な報告を握りつぶし、その報告した部下を憎み殺しかねない 現政権 大本営に戻らなくてもよい状態を提供したかのようです。
ちなみに、情報参謀の報告を真摯に受け止めた山下氏は、当初予定していた「祝勝会」を「慰労会」に変更したとのことです。
この辺にも山下氏の人柄が表れているような気がするではありませんか。
ただ口だけで「わかった」となだめ、面倒くさい下僚に適当に迎合して見せたわけではなく、直ちに組織の行動として具現化した。
さすがに、すべての部下に「あの戦果報告は嘘だ」とは明かさなかったでしょうが、少なくとも情報参謀の焦燥感やささくれだった精神は、責任ある立場にある人が自分の報告を受け入れてくれたことで沈静したのではないでしょうか。
山下氏は、軍の上級幹部として良い待遇も受けていたでしょうが、それに埋没して視野が狭くなるようなことはなかったようです。
現地にいながら日本の戦局について推察することができ、その一方、一情報参謀の身の振り方を思いやる幅広い思考ができたことが、この著述から見えてきます。
山下氏は後に、シンガポールの戦いで有名な降伏交渉での「イエスかノーか」は強圧的な意味ではないことを主張しましたが、それは罪状逃れではなく、本心だったのではないかという気がします。
つまり、通訳が頼りない中で、異国の相手にわかり易く伝える手段として、最も端的な表現を冷静に選択して使った、ということではないかと。
最後に、この情報参謀の名は堀栄三(ほりえいぞう)氏です。
保阪さんの著書では名は明かされていませんが、ウィキペディアなどで確認できます。
戦後は陸上自衛隊、大阪学院大学などで働き、1995年に82歳で亡くなったそうです。