さて、満を持して発せられた名言②「俺には夢がない。でもな、(他人の)夢を守ることはできる」です。詳しくは前回記事を御覧ください。
実はこのシーン、名言がカッコいいというより、このときの乾巧には、我々視聴者側が生きているリアルな現実に通じるリアリティを感じ、琴線を震わせられます。
だからシンプルに言えば「琴線が震えた」だけであって、本当に「カッコいい」のかどうかは正直言って不明です。
ヒーロー物だから、後付けでそう思っただけかもしれない。
・・にしても、個人的にはライダーシリーズ随一のカッコよさと言って良いと思っています。
ではなぜそう思ったのか?
これについて書いてみます。
ファンなら周知の「平成ライダー定番ゼリフ」を封印している珍しいシーン
自分が狙われていることに気づかずに歩く真理と、彼女を狙う怪人(オルフェノク)との間に敢然と立ちふさがった乾巧。(第8話)
真理は何も知らぬまま、軽やかに歩き続けている。
この展開は、じつは珍しい。
ファイズの「通報制度」では珍しい設定
巧自身がオルフェノクと遭遇するケースを除けば、基本的にヒロインを始めとした仲間たちからオルフェノク発見の通報を受けたときしか敵と相対峙しないこの作品では、殆どの場合 ”通報者に見守られつつの戦い” になる。
ヒロインがすぐそばにいる状況で「誰にも見られていない」の設定は非常に稀といってよいでしょう。
「逃げろ! 逃げるんだぁ!」という平成ライダーシリーズ定番のセリフを発してもおかしくない距離ですから・・
誰からも知られることなく善行を積む。
これぞ、陰徳。
「誰かの夢を守る」なら、かなり多くの人がやっとるやん・・というリアル
しかし実はこの展開、我々一般人の現実に近いものだという実感を持たせてくれる。
というのは、ファイズという作品を観ている我々は『こうなったら必ずファイズが勝って終わる』ことがわかりきっています。
しかし劇中の世界においては、乾巧は勝利に向けて戦うが、100%勝てるかどうかは不確実、というのが現実です。
第5話で、真理と二人で訪れた喫茶店でマスターを殺した戸田英一とはち合わせた巧は、これまでの中で最大級の危機に瀕します。(演者の影丸茂樹さん、いい声だったなぁ)
このときの巧は、ベルトを持っていなかったのです。
以前の記事でも書いたように、ファイズは私が観た平成ライダーシリーズの中で唯一、完全物理系の変身ベルトを使用しており、常に持ち運ばないといけない現実的な制約を課されています。
このシーンにおける巧は、あたかも刀を忘れた侍のような状態です。
戸田に追い詰められた巧は、ほとんど遺言と言っていいくらいの調子で真理にこれまでのお詫びをしたり、誰にも明かさない自分自身を物語ったりしていますが、仮に変身できたとしても、戦いに臨む際に彼が置かれている状況はいつでも死と隣り合わせです。
形跡が残らない善行を積んでいる一般人は多い
オルフェノクに倒されて死ぬと灰になってしまい、その存在は風で吹き飛んで死の痕跡すら残さない。
巧の場合、ベルトは残るけれど、それだと行方不明との区別がつかない。
そうなる可能性がゼロではない中で、あえてすぐそばにいる知り合いに悟らせず、静かに戦いに入っていく。
子育てしている方々などは特にそうだと思いますが、何度これに近い意思を湧き立たせ、日常を生きていることか。
若い頃に抱いていた自分自身の強烈な野望や願いは、子供が出来た頃から意識しなくなってしまったが「でもな、(この子の)未来を守ることはできる」
あるいは職場で、誰からも歯牙にもかけられない下働きを、文句も言わずに習慣的にこなしている方々。
大したことはできないかもしれないが「でもな、(みんなの)働きやすさを守ることはできる」
死と隣り合わせとまではいかないにしても、「誰かの何かを、守ることはできる」と、口にも出さず静かにそれぞれの戦場に立つ側面を、我々一般人もそれぞれ持っているはず。
「社会貢献」なんて、誰のために役立っているのかわからない抽象概念より、すぐそばにいる大事な存在のために、たとえその行いを知られなくても自分のポリシーを貫くほうが、よほど熱くなれる。
我々は日々、そんなヒーローとして戦っているのではないか?
ヒーローは画面の向こう側だけではなく、こっち側にいた。
「俺には夢がない。でもな、夢を守ることはできる」
深いなぁ・・
さすが井上のアニキ、と、結局これでしめるのであった。