ながらスマホは、古代から生き残ってきた人類(いわば人類の中の『勝ち組』)に必須だった「情報の確認行為」と同類の行動だった・・
そんな内容のことが書かれた本『スマホ脳』を解説している岡田斗司夫さんの動画をベースに、前回はちょっとした私見を書きました。
<前回記事はこちら>
バーチャルかリアルかは、脳には関係がないらしい
『スマホ脳』著者のアンデシュ・ハンセン曰く
「マルチタスクを推奨する脳のプログラムに従うと、脳はドーパミンを出す」
「あの木の上のほうに、食べられる木の実が生っているかもしれない」と木登りして確かめ、首尾よく見つけて食料を確保する経験は、言い換えると「チラ見で命をつなげた」とも言えます。
これは、脳が報酬系ホルモンを出すに値する快挙です。
注意力散漫は「3度おいしい」
狩猟時代から続くこの脳のプログラムは、現代でも健在だそうです。
だから、「何か有益な情報があるかもしれない」と確かめること自体でまずドーパミンを放出。
そして、もしもそこで何らかの発見があると、よりドーパミンを放出。
さらに、それが有益なものであった場合はもっとドーパミンを…といったことが行われるとのこと。
どうやら「チラ見は3度おいしい可能性を秘めている」らしい。
注意力を散漫にするほど、本能に従っているともいえる。
報酬系ホルモンは「ゆっくり」出るのが自然だった
しかし、現代の我々にとって ”注意力散漫” は、よろしくない印象を与える言葉です。
これは、行動範囲やスピード感、そしてもちろん生活の中で取り扱うものの性質が、狩猟時代とは全く異なっているからでしょう。
狩猟時代の人間の”チラ見”は、どうしたって現代とは設定が違う。
「あの木の上のほうに実が生っているかもしれない」と、時間をかけて一生懸命木登りをし、キョロキョロと見渡した末に帰ってくるような速度感だったでしょう。
一連の「チラ見行動」は極めてスローモーです。
もしも、首尾よく美味しい木の実を発見でき、それでドーパミンが出たといっても、そもそもそんな事に出くわす機会が、さほど多くなかったことと思われます。
ながらスマホを「ゆっくり」できるか?
現代人の話に切り替えます。
極端なたとえですが、スマホを会社近くの駅のロッカーに預けておくとします。
仕事中に「スマホチェックしよう」と、そのたびに駅まで戻って確認するならば、狩猟時代に木登りしていたころと同じく、「チラ見行動」自体にかなり時間をかけている。
「注意力散漫なチラ見」とはいえ、勝手に職場を抜けていることが危険動物(上司)にバレて危ない目に遭わないように、チラ見行動の実践中には、細心の注意を払うでしょう。
そう思うと、、
「ちょっと見てみよう」と気が散ることと・・
『実際に見る行為』は、なんだか全く別々のことに思えるのですが・・
報酬が早く出すぎる、連続で出すぎる・・
ながらスマホで注意力が散漫になって問題が生じるのは「チラ見して何らかの情報を得るまで」の時間間隔が極度に短く、しかもほぼ一動作でできてしまうからではないかと思っています。
のべつまくなしに報酬系ホルモンが出っぱなし。
それに、うまくいけば3連チャンで出玉 ドーパミンが分泌される。
岡田さんは、人が一日にスマホに触るとされる回数にふれ、「スマホは一日に2600回通えるパチンコ屋と同じ」と笑い、「それは誰でも中毒になりますよね」と言っています。
脳が追い付けないほどの「お手柄」を実現してしまう「ながらスマホ」
ながらスマホはパチンコとは比較にならないほど手軽です。
狩猟時代の脳は、人間が生きていく日常の中で、こんなに素早くドーパミン放出案件が繰り返されることは想定していません。当然です。
それも、リアルとバーチャルの区別がつかない脳は、すべてがリアルで起きている反応をするので、「バーチャル用に7割減のドーパミン」などという調節はできません。
そりゃあ、中毒になりますよね。。
わかっているからといって、そう簡単にはやめられない。
岡田さんの動画の中で詳しい実験結果なども解説されていますが、禁断症状のことにもふれています。
※サムネを見る限りでは、スマホ否定の内容であるかのように感じられますが、岡田さんはドップリと「スマホ人間」ですので、一切スマホを否定していません。
「わかっちゃいるけどやめられない」は、”ギャンブル”も”ながらスマホ”も根源は一緒のようです。
ちなみに、これは自論の中の自論ですが、私に言わせれば、この岡田斗司夫さんの話のほうが、よほど中毒性が高い。
面白いので、これ以外のいろんな話も、もっと聞きたくなります。
漫画やアニメが好きな人は、自分の好きな作品について語られている動画があれば、視聴してみてください。
(私は「HUNTER×HUNTER」の話をとても興味深く聞きました)