司馬遼太郎さんの『項羽と劉邦』に登場する主要キャラクターの一人である陳平は、張良と並ぶ知将です。
功労者3傑に名の挙がらぬ豪華なベンチ要員
劉邦がライバル項羽との戦いを制して漢帝国の皇帝となった後、家臣たちから「なぜ陛下は天下を取れたのか?」と問われた際、特に名を挙げて3人の部下を称えた話は有名です。
張良の智才、韓信の軍才、蕭何の政才を褒めそやしつつ、それらの類まれなる才能の持ち主達を使いこなす自分の才を誇った話です。
しかしこの中に、陳平の名はない。
秀吉を補佐した「両兵衛」の一翼・黒田官兵衛は ”陳平キャラ”
後の日本で竹中半兵衛・黒田官兵衛のいわゆる「両兵衛」を事実上の部下にした羽柴秀吉のことを「張良・陳平を帷幕に置いた」と評した歴史解説本を読んだことがあります。
欲得渦巻く戦国の世に名を挙げた数多の武将の中で、特に無欲さが強調され芸術家のように評される竹中半兵衛と、欲望に緩急をつけて使いこなす現実家と評価される黒田官兵衛は、どちらも大変魅力的な作戦家/戦略家です。
言われてみればたしかに半兵衛は張良に、官兵衛は陳平に似ていると言ってよい・・というか、そう考えたほうが歴史は楽しい。
張良と同じ試験科目でトップは取りづらい
ちなみに、上に挙げた「張良・陳平を帷幕に置いた」と評した歴史解説本を私が読んだのは1990年頃ですが、ようはその頃から「陳平と張良は並び称される存在」だったことがうかがえます。
司馬さんの『項羽と劉邦』が小説新潮に連載されていたのは1977年〜1979年で、その後ハードカバーの大判書籍となって発売され、さらに時を経て文庫版となって出回るので、この作品の浸透具合と、私が「両兵衛」を知った解説本が書かれた時期は符号が一致する気もします。
横山光輝さんの漫画作品のほうは1987年~1992年までの連載ですが、私は読んでいないため、陳平がどう描かれていたのかは知りません。
「コンビ扱い」されていたのでしょうか?
ほぼ会話していない張良と陳平
後から考えると意外な感じがしますが、少なくとも司馬さんの『項羽と劉邦』では、張良と陳平がコンビとして描かれる重大なシーンはほとんどない。
おそらく、公武山の長い対峙が休戦となり、両軍が山を下りたときです。
撤退する項羽軍を追撃して最後の戦いを挑もうと、一世一代の大胆すぎる策を献じようとする張良が陳平の陣屋にやってきて「きみも一緒の意見ならば陛下も受け入れてくれるだろう」と、珍しく切羽詰まった様子で同行を求めたときぐらいかと思われます。
二人の間に直接的な会話があるのは、このときだけだったはず。
そう考えると「両兵衛」という呼称が発生した元ダネは、別に司馬遼太郎の創作に世間がノッてしまったとも言えない気がします。
気になりますね。
よくよく考えると、コンビとは言いきれない「智謀キャラかぶり」を、司馬さんはどう処理していたのか?
張良のキャラはもはや崩したり薄めたりできないでしょうから、そうなるとやはり陳平をどのように読者に見せていたのかという点について、司馬さんの書き方を見ていく必要がありそうです。
<続く>