経理責任者からの、内密の呼び出し
数字のごまかしは難しい
かつて会計事務所に所属していたころ、私はクライアント企業に常駐して事務をしていました。
有名企業の子会社だったそのクライアントは、業界紙のインタビューなどで羽振りの良さを吹聴していましたが、その内情は極めて危ないと、業務現場の状況を見て危惧していました。
私が入り込んだ時はまだ創立1年未満なので、外部からは見えないことも多く、親会社ですら「まあ何とかやってんだろ?」という雰囲気で、そんな中で下っ端の外部スタッフである私がいかに警告を発しても、まともに取り合う幹部はいない。
しかし、経理部はそう思っていなかった。
ある日、鳴った電話に出てみると、かねてからちょくちょく接触のあった経理責任者からだった。
「私に呼ばれたとは言わずに、そっと抜け出してこっちに来てくれない?」
隣のビルにある親会社のフロアに入り、指定の会議ブースへ行くと、二人の人が座っていた。
ひとりは私を呼んだ責任者。
もうひとりは彼の部下で、私のクライアントの経理を担当する女性。
クライアントの資金状態に大きな問題が生じ、経理部ではそのことが大事なトピックに浮上しているらしいが、本来なら事情聴取すべき幹部からの答えでは、まともな説明になっていなかったようで、経理としても困っているとのことです。
そのとき、その女性が「○○社の事情を聞くなら文鳥さんが一番良い」と口添えしたため、このような運びになったようです。
私は別の幹部から資金繰り表作りを頼まれていたため、親会社なら当然知っている程度の話でしたが改めて説明し、そこから徐々に経営の舵が切られていくことになりました。
なんだか企業のきな臭い話になりましたが、今回は会社そのものの話ではなく、このとき経理責任者に「文鳥さんに聞くとよい」と口添えした女性のことを書きます。
「会社の立て直し作業」は、どのフォルダに入ってますか?
彼女は系列の別会社からアウトソースで送りこまれ、親会社で働いている経理畑のスタッフです。
当時は知らなかったのですが年俸制で雇用契約が結ばれていたようでした。
『年俸制』というものに疎かった私は、彼女の状況が全く想像できず、それよりも「このままではクライアントが清算の憂き目を見てしまう」という危機感の中にいました。
ある幹部の隠ぺいにより、業績が悪化していることは親会社に正確に伝わっていない。
会社が清算になっても、その幹部は親会社に拾ってもらえるかもしれない。
私も、所属の会計事務所に戻ることができる。
でも社員さんたちは?
私は社員さんや派遣さん、そして自分と同じ事務所から来ているメンバーたちと協力して、この事態を打開することにしました。
その“協力者”の中には当然、その経理の女性も「含んでいる」と、私は思っていました。
会社をどうしていくかということについては、隠ぺいする幹部との直接対決が最初にあり、早急にそこを崩さないと、親会社が真実を知るころには会社が手遅れになっている可能性が高い。
説得力のある証拠と言えば経理資料だ。
とはいえ、正攻法で有効数値を見つけたところで、うやむやにされるのはこれまでの常の姿だ。
(すぐに探せるようなありきたりの情報では、もみ消されて終わってしまう。これまでにない切り口で、かつ、会計の専門職以外も持論にできるようなものが欲しい)
studiographicさんによる写真ACからの写真
私は親会社に出向いては、彼女に頼んで資料を出してもらいつつ、決め手になる材料を探しました。
彼女は快く次々と私の要望に応え、指定した取引記録に付箋を貼って渡してくれた。
「よし。だいぶポイントが絞られてきた。これは、幹部の隠ぺいを打ち破る効果はもちろんだが、この先会社を立て直していくうえでの良き反省点も見えてきたぞ」
クライアント会社に戻り、毎日夜まで主要メンバーと協議を重ね、弱小ながらもしっかりとビジネスしていく零細ベンチャーの熱さを感じ、よき仲間に恵まれたと喜んでいました。
外部スタッフならではの「沈没会社との距離感」?
よき協力者だった経理の彼女とは、その日も業務のことで話をしていたが、何かをきっかけに徐々に憤りはじめ、最後にはキレました。
「私は年俸で働いてるから残業はしたくない。
文鳥さんは私にいろんな資料を探させて、私はそれを探すのにすごく時間がかかっている。
その分いつもの作業ができなくて残業になる。
どうしてこんなことしなきゃならないの!? 私はすごく迷惑!」
数年後、じっくり話す機会があったときの回顧談によれば、彼女は当時、私が何をしているのか知らなかったらしい。
(そうはいっても、財務的問題を発見して、経理責任者との内密の打ち合わせをセッティングしたのが彼女自身なのだけどなぁ)
ずっと経理一筋で来た彼女は、定量的な問題には常に明快な態度だったが、定性的なことにはあまり関心がなかったらしい。
「経営の立て直し」なんていう抽象論は、ものの数には入らないのかも。
やがて自分も別の会社で経理職になったけれど、こういうきわどい経営の舵取りに参画した過去を持つためか「経理のスペシャリティを、どうやって経営に活かすか?」みたいなテーマで動く変わり者になってしまい、今は経理職ですらない。
結局、あのときキレてしまった彼女にかけるべき言葉は、今もって思いつかない。
しかし、当時「働き方改革」なんて言葉は無かったけれど、彼女が主張していたのは、それに倣えばまったくの正論だったようにも思う。
私は無条件で「彼女は仲間」と考えていたが、彼女は「確たる条件」を持っていた。
何も言わなくてもわかり合えると思うのは間違いで、溝を埋めるべきロジックが無いまま使役したのは大いに問題だった。
抗すべき言葉が「無い」のは、ある意味正解だったのでしょうね。